風疹のこと

アガサ・クリスティーの小説「鏡は横にひび割れて」とジーン・ティアニーの身に起きた悲劇(ネタバレあり)

アガサ・クリスティーの写真、ジーンティアニーの写真
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アガサ・クリスティーの「鏡は横にひび割れて」という推理小説があります。

原作のタイトルは英語で”The Mirror Crack’d from Side to Side”というのですが、Agatha Christie公式サイトの書籍紹介のページには、このように書かれています。

The plot was inspired by Agatha Christie’s reflections on a mother’s feelings for a child born with disabilities and there can be little doubt that Christie was influenced by the real-life tragedy of American actress Gene Tierney.

小説のプロットは、障害を持つ子の母親の気持ちについて、アガサ・クリスティが考えをめぐらせて着想を得たもので、クリスティーがアメリカの女優ジーン・ティアニーの現実の悲劇に影響を受けたことは疑いの余地がない、というのです。

アメリカのスター女優ジーン・ティアニーの身に起こった悲劇とは一体なんなのか。ジーン・ティアニー自身がのこした自伝にその答えがありました。

Amazonでは高値がついていて入手困難なのですが、Internet Archiveに登録すれば1時間限定で読むことができます。(残念ながら、視覚障害者向けDAISY図書の利用はアメリカ国内に住む人または市民権を持っている人に限定されています。)

ここから先は小説のネタバレを含みます。まだ読んでいない人は注意してくださいね。

ジーン・ティアニーの身に起きた悲劇とは?

1943年、第二次世界大戦で日本とアメリカが戦火を交えていたころ、ジーン・ティアニーは「ハリウッド・カンティーン」という軍人たちが集まる酒場でホステスをつとめます。そこに彼女の大ファンだという海兵隊員の女性が現れます。ジーンはファンの女性にサインを贈り、キスをしました。

それから数ヶ月たち、夫婦が楽しみにしていた赤ちゃんが生まれました。ダリアは耳が聞こえず、白内障で目が見えず、そして知的障害をかかえていました。ダリアは4歳の時に両親のもとを離れ、障害者施設で人生のほとんどを過ごし2010年に66歳で亡くなります。

あの夜、ファンの女性は風疹にかかっていたのです。ダリアが1歳を過ぎたころ、テニスパーティーでその女性に偶然再会します。女性の口から語られた真実は、ジーンにとって一生忘れることのないつらいものでした。

「あのとき私はあなたに伝えていなかったかもしれませんが、あの日基地全体で風疹が流行っていました。私は外出禁止令を破ってあなたに会いにカンティーンへ行きました。誰もが行くべきではないと反対したのですが、私はあなたの大ファンで、会いに行かずにはいられなかったのです」と。

ジーンは驚きのあまりぼうぜんとしました。

あの晩に会った私の目の前にいるにこやかな女性が、娘の障害の原因だったとは。

あの女のせいで私は風疹をうつされ、我が子は障害を持って生まれた…。

礼儀正しく微笑んでその場を去りましたが、彼女の目には涙があふれていました。

アガサ・クリスティとジーンティアニー、そしてシャルロット姫

ジーンの悲劇的なストーリーは新聞記事になり、アガサ・クリスティーの目にとまりました。

そして、1962年、まさにヨーロッパで風疹が流行していたころに”The Mirror Crack’d from Side to Side”が出版されたのです。

タイトルは、アルフレッド・テニスンの詩”The Lady of Shalott”からとられており、日本語版の冒頭ではこのように訳されています。

織物はとびちり、ひろがれり
鏡は横にひび割れぬ
「ああ、呪いがわが身に」と、
シャロット姫は叫べり。
ーーアルフレッド・テニスン

何者かに「むこうのキャメロット城を見下ろしたらお前は呪われる」とささやかれ、塔に閉じ込められてしまったシャルロットの姫。その呪いが何であるか知らぬまま、魔法の鏡にうつる外の世界を織り続ける日々が続いていた。

ある日、ランスロット卿を一目見ようと、機織りの手を止めて、窓から外の世界を見てしまったとき、織物がひとりでに飛び、部屋中に散らばり、鏡が横にひび割れる。

William Holman Huntによる「シャルロットの女」(1905年)という絵画は、呪いが降りかかった直後の様子を描いたものです。絵画のくわしい説明は英語ですが、Wikipedia – The Lady of Shalott (William Holman Hunt) にあります。

ウィリアム・ホルマン・ハントによる『シャロットの女』(1905年)、ランスロット卿を一目みたとき、シャルロット姫に呪いがかかり、鏡が横にひび割れるシーンを描いた作品

クリスティは、彼女のファンから真実を打ち明けられたときにジーンが受けた強い衝撃を、シャルロットの姫に呪いがかかる瞬間を重ね合わせたのではないかと思います。

風疹ワクチンのない時代に起きた悲劇だった

ヨーロッパでの風疹流行は海を渡りアメリカ本土にまでおよび、12.5万人の感染者、1万件以上もの流産と2千人以上の新生児死亡、そして2万人以上の障害をもった赤ちゃんが生まれました。

大流行後の1964年ごろからワクチンが開発され、使われはじめたのは1969年。アメリカの人々が風疹のこわさを身をもって思い知ったのは、ダリアが生まれてから約20年たったあとのことだったのです。

1943年当時に風疹を防ぐ手立てがあったならば、あの日、ジーン・ティアニーの顔が横にひび割れることもなければ、 アガサ・クリスティの「鏡は横にひび割れて」という小説も生まれることはなかったでしょう。

コメント

  1. 通りすがり より:

    たまに鏡は横にひび割れてはジーンティアニーの悲劇を元に創作された、というような話をネットで目にするのですが、『アガサ・クリスティーの秘密ノート』という本の中で、この作品がアメリカで出版された際に読者からジーン・ティアニーの身に起こった悲劇に対して無神経すぎるというクレームが寄せられ、クリスティがジーン・ティアニーのことは知らなかった、とコメントを出した、というようなエピソードが紹介されているので、ジーン・ティアニーをモチーフにこの作品を作ったという(ネットでチラホラみかける)エピソードは事実ではないようです。

    • 風見サクラコ より:

      ご指摘ありがとうございます。「アガサ・クリスティーの秘密ノート」にも当時の状況がわかるエピソードがあるのですね、確認してみます。ただ、クリスティが立ち上げた版権管理会社の作品ページにおいて作品に影響を与えたことが示唆されているので、少なくとも、何らかの影響を与えたことは事実であると考えます。