医療ルネサンス風疹連載の最終回は「先天感染児 早期発見へ」というタイトルです。この記事の後半に私がでてきています。私の部分だけ引用しておきます。
CRSの当事者も支援を始めた。神奈川県の大学院生(24)は今年9月、ホームページ「先天性風疹症候群(CRS)とともに」を開設した。難聴と白内障、心臓の病気を持って誕生してからの記録を公開した。
「CRSの赤ちゃんの親が、先の見通しをたてたり、希望を持ったりできるのではないか」と考えた。
幼少期の記録を書くため、両親が保管していた育児日記を初めて読んだ。
今月上旬、日記を持って、診察の責任者だった耳鼻咽喉科医の田中美郷さんを訪ねた。当時の様子を知りたいと思ったからだ。
田中さんが初めてCRSの赤ちゃんを診察したのは1962年。その後、ワクチンが開発されたのに、半世紀たった今も、日本では風疹を根絶できずにいる。
「風疹は、命を落とさないことから、軽い病気と扱われてきたけれど、障害を持って生まれた子どもや親の苦労を考えれば、決して軽くはありません」
田中さんの言葉に大学院生は大きくうなずいた。
「家族や友人に恵まれて幸せでも、人間関係で悩んだことは数えきれず、おなかの中で風疹にかからなかったら、目や耳の障害がなかったら、と思わない日はない」
風疹の根絶と、生まれてきたCRSの赤ちゃんの支援をどう進めるか。今まさに社会が問われている。
田中先生とお会いしたきっかけは、ホームページ(を作るための資料を集めていたときに偶然見つけたもの)を、取材のときに持参したところ、記者の方がちょうど『ノーサイドクリニック』への取材を行っているということで、つないでいただくことができました。私の母が昔ホームトレーニングプログラムに参加した縁で、お会いさせていただく機会を持つことができたのです。
記事には書かれておりませんが、田中先生は子供を家に閉じ込めるのではなく、外に出ていろいろな体験をさせてあげて、子供の能力を限りなく引き出してあげることが大事だとおっしゃっていました。
当時の記録にも『目と耳に障害をもつ娘のことで心安まる日はなく、日々の成長の過程が楽しみでもあり、また苦しみでもあり、希望と絶望の繰り返しです。これからも同じ思いがずっと続くと思いますが、娘の能力を限りなく引き出せるよう親子で頑張っていく覚悟です』(要約)と書いてあって、何度読んでも涙が止まりません。
今回の流行で生まれたCRSの赤ちゃんとその周囲の方々が、手厚く支援を受けられ、また大きくなったあとも、手話通訳などによる情報へのアクセスを保障されることを願っています。
なお記事中で紹介されているホームページ(※このサイトです)にて、今までの記録を公開しておりますので、お時間のある方はぜひご覧ください。あまりパッとしない人生なので、お役に立てるかどうか分かりませんが、少しでも誰かの希望につながればと思っております。