風疹のこと

「遙かなる甲子園」 演劇ver.を観て考えたこと 「普通」ってなんなんだろう?

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2月24日に風疹啓発イベントを兼ねた「遙かなる甲子園」を観劇してきました!

今回の公演は、風疹をなくそうの会 hand in handの大畑さんが中心となってクラウドファンディングで費用を募り、全国各地の方の支援のおかげで成立、大阪と東京で行われました。

handさんのクラウドファンディング、あっという間に目標金額を達成したというのは驚きですね。それだけ今の状況に危機感を持っておられる方が多いということなのではないでしょうか。

「遙かなる甲子園」とは?

1965年、米軍統治下の沖縄で基地を介してウイルスが持ち込まれました。前年にアメリカの本土で大流行が起き、兵士やその家族のあいだで流行がおき、基地の外にまで拡がったのです。結果として、400人を超える先天性風疹症候群の赤ちゃんが生まれました。

彼らのために1978年、期間限定で設立されたのが北城聾学校です。140名の生徒が入学し、6年語に彼らの卒業とともに閉校されました。北城ろう学校の球児たちが甲子園を目指して野球に打ち込んだ実話、それが「遙かなる甲子園」です。

「遙かなる甲子園」は小説、漫画、映画、ドラマと複数のバリエーションがありますが、演劇バージョンは、野球部を設立してから高野連への加入が認められるまでの部分が中心になっていて、聾学校の名前も「福里ろう学校」という架空の名前です。

心に残ったシーンは2つ。一つ目は、口話教育の優等生の弥生が作文コンクールの受賞スピーチで「野球部を高野連に加盟させてください!」と訴えるシーン。二つ目は、小石をばらまいて邪魔をしていた茂、本土に住む目の見えない老人からの手紙を読んで涙するシーン。今日は一つ目のほうについて書きますね。

野球部員との交流で手話を使い始めた弥生に共感。

弥生は、東京で特別な口話の訓練を受けて、親からも手話を使うのを禁止されていました。「両親は私を耳の聞こえる普通の娘のように見せようと必死だったの」といいます。親や教師は障害を持つこどもを何とかして普通に近づけようとするんです。でも、野球部の努力、壁に穴をあけようとする努力に胸をうたれて、いつしか彼らと心を通わせるようになり、手話を使い始めます。

今は手話言語条例が全国各地で制定され、ろう者が手話を使う権利が認められはじめましたし、早期教育でも手話を使うようなのですが、昔はそうではありませんでした。私の同世代、30代の若い人ですら小さいときに手話を禁止されて、厳しい口話の訓練を受けた経験を持つ人たちが少なくありません。

なので、包帯を手に巻かれたという話も、そういえばそんな話を誰かに聞いたかもとリアリティを感じました。手話を使い始めて新しい自分を再発見したのも、私自身が経験してきたことなので自分と重ねながら、私だったら高野連に認めてもらうためにどう行動するかなとあれこれ考えを巡らせましたね。

「普通」ってなんなんだろう。

このシーンを見たあとから「普通ってなんだろう」という疑問がわいて頭が突き刺さったままです。今回は風疹の流行を止めようという趣旨で企画されていて、そこには「障害を持たない普通の子が産まれてきてほしい」という社会の願いも込められています。

でも、この劇では、普通であってほしいという両親の抑圧から解き放たれて、自ら殻を破ることの大切さを伝えているわけですよね。「聞こえないんだから野球なんて危険すぎる」という偏見にめげず「いや、僕たちにだって野球はできる」ということを、北城聾学校の先輩方は証明したのです。

私自身も普通の人生があったら、あれをやってみたい、これをやってみたい、とよく妄想することがあります。それと同時に、健常者の人生があったとして、それは果たして幸せなものになったんだろうか、そうとは限らないんじゃないんか、とも思うのですよね。不良化して暴走族のリーダーになるかもしれないし、酒やギャンブルにおぼれるかもしれない。風疹の流行がなければ障害のない体で生まれてきたかもしれないとは思うんですけど、人生はやってみないと分からないことだらけですよ。

そもそも、生まれつきこの体を持って生まれてきた私たちにとってはこれが「普通」です。聞こえないことも当たり前で、むしろオリジナルなマイワールドを楽しんでますね。聞こえないのって意外といいんですよ。「音が見える」、そんな視点を持てるのも聞こえない耳ならではです。なので、障害者として生きることは否定したくないんですよね。

もちろん病気や障害がなく、命の危険もない人生があることが良いことは分かっているし、命が守られる将来が来てほしいとは思うのですけど、「風疹の流行をなくそう」というのは「障害児(者)のいない社会」を肯定しているんじゃないかというジレンマを感じます。特に、ここ数週間は頭の中でぐるぐるしてます。

少なくとも、私自身は、障害を持って生まれて、不便なことはいろいろとあるけれど、可哀想だとか、不幸だとかは全く思っていないです。風疹の場合は、心疾患や知的障害、発達障害なども合併するので、大丈夫とは軽々しく言えないのもむずかしいですね。

ただ、今は、テクノロジーのチカラを借りることで社会参加の幅はぐっとひろがっていると感じます。補聴器もオシャレなのが増えてますし、車いすもカッコいいのが増えてますし、外に出やすくなっています。テクノロジーのおかげで障害者でいることを肯定しやすくなっているのかなあともふと思いました。

障害に対するポジティブな自己イメージを維持しつつ、「風疹の流行を止めて赤ちゃんを病気や障害から守ろうというメッセージを効果的に伝えるには?という点、とっても悩ましいです。もうずっと悩んでますね、2013年からずっとそうなんですけどね。

次回公演は8/4(日)、埼玉です。

次回は8月4日(日)、埼玉県和光市で公演が行われます。ちょうどリアル甲子園が始まる時期。北城ナインがもし甲子園に辿りつけていたら、どんな音が見えていたか、思い浮かべていただければと思います。

そして、先日の終演後の舞台挨拶にもありましたが、感動しましたで終わらず、どうすれば今起きている流行を防げるか、一歩先のことを考えていただくきっかけとしていただければと願っています。

コメント

  1. 匿名 より:

    普通とは何か?
    私は精神障害者です。
    しかし、障害があるから最初から出来ませんと言うのは好きではないです。
    最も私の障害を他の方と比較することは間違っているかもしれません。
    病気が治ってから何かをしようと思っていると、多分一生が終わってしまいます。
    障害を持ちながら、社会と適合していくことが本来の姿だと思います。
    最近は、IT技術のおかげで障害を克服していくことが出来る世の中になったと思います。