新年あけましておめでとうございます。
昨年はコロナに始まりコロナに終わるというそんな1年でしたが、年末にはイギリスやアメリカでワクチンの接種が始まり、日本でも夏ごろから接種が始まるのではないか、もしかしたら秋になるかもしれませんが、日本でもワクチンが接種できるようになり、少しずつ収束への道、道筋が立ってきたのではないかと思います。
希望が見え始めた一方で、東京では1日1000人を超える新たな感染者が報告され、65歳以上の中等症以上の患者さんであっても入院できないといった事例も発生しており、いま、日本は一つの大きな山に挑んでいるという状況にあります。
各地で医療システムが崩壊寸前だとか、変異種がヨーロッパをおそっているとか、さまざまなニュースが日々伝えられてきますが、このような状況にあっても、そして今後ワクチンが接種できるようになったとしても、私たちができることは今までと全く同じです。
マスクをつけ、手を洗う。体調が悪いときは学校や会社に行かない。そ密集、密接、密閉の三密を避ける。
たったこれだけのことで本当に防げるのか。「手を洗う」なんて今では当たり前すぎて、何をいまさらと思うかもしれません。でも19世紀の世の中では非常識なことでした。
時は1840年代にさかのぼります。当時のヨーロッパでは赤ちゃんを産んだばかりの母親が産褥熱とよばれる病気で亡くなることが多かったのです。その原因は何だろうと興味をもったのがハンガリー人の医師、イグナッツ・フィリップ・ゼンメルワイス(Ignaz Philipp Semmelweis)さんでした。
ゼンメルワイスが勤めていたオーストリアのウィーン総合病院には、二つの産婦人科病棟があり、第一病棟では産婦の10パーセントが産褥熱などにより死亡し、第二病棟の4パーセントに満たないという不思議な現象が起きていました。この二つの病棟の死亡率の違いは院外にも知れ渡っていて、第一病棟に入れられないようにと懇願する患者もいたほどでした。
なんとか死亡率を下げる手立てはないのか。ゼンメルワイスはさまざまな仮説を立てて検証を続けていった結果、ついに真実にたどり着きます。それは、死体解剖室から持ち込まれた「手についた微粒子」でした。
第一病棟では、医学生の教育を行っており、医師が医学生に対して解剖の授業を行っていました。一方、第二病棟で働いている助産師たちは解剖には参加せず遺体に触れることもありませんでした。つまり、同じ病院で、同じ技術を用いて診療を行っていたのにもかかわらず、そこで働いている人たちの違いで死亡率に差が出ていたことがわかったのです。
そこで検診の前にさらし粉(次亜塩素酸カルシウム)で手を消毒することを医師たちに義務付けました。その効果はてきめんで、4月には18.3%だった死亡率が6月には2.2%にまで減少したのです。
それは今から考えるとものすごく重要な発見だったのですが、医学会の権威たちは自分たちの汚れた手が多くの死を引き起こしていることを認めたがらなかったのです。
保守的な主流派との闘いに疲弊したゼンメルワイスは精神を病み1865年に亡くなります。どうやらゼンメルワイスの発見は正しいようだと理解されはじめたのは死後20年たってルイ・パスツールが「細菌が感染症を引き起こしている」ということを突き止めてからでした。
みんなが当たり前だよねと思っていることをやるっていうのは、すごくつまらない気持ちがするかもしれませんが、いま当たり前だといわれていることを当たり前にしたのは、ゼンメルワイス医師のようなパイオニアが常識とたたかったからなのです。
ですから、私たちができることは先人たちの努力を無駄にしないように、粛々と当たり前のことを当たり前のようにやるということだと思います。それが結局は医療現場を、わたしたちの命を守ることにつながるのではないかと思います。
さて、「1年の計は元旦にあり」といいます。そこで、ここに今年やりたいことを宣言しておきたいと思ったのですが、前置きがだいぶ長くなってしまいましたので、いったんここで記事を終わりたいと思います。
皆様にとって良い一年となりますことを心よりお祈りしております。本年もどうぞよろしくお願いいたします。