『天然痘の生ワクチンに続いて次々と開発されてきたワクチンの種類とは?』という記事で、ワクチン以前の時代を経験したアメリカの社会学者の回想が紹介されていました。
引退した社会科学者マーゴット・スミス博士は「バークレーウェルネス(Berkeley Wellness)」に、1930年代の子どものころ「学校の遊び場の向かいのアパートに住んでいて、近所の友達と夕暮れまで遊んでいた。私は安全だと感じていたが、両親は伝染病を恐れていた」と語ります。
英語の原文は、バークレーウェルネスのサイトで読むことができます。今日は原文の内容の一部を紹介したいと思います。なお以下の和訳はすべて風見によるものです。
防ぐ手立ても治すすべもない時代、感染症にかかったら「生きる」or「死ぬ」だった。
学校の1年生から8年生(中学2年相当)になるまでのあいだに、クラスメートたちは、猩紅熱、おたふく風邪、麻疹、風疹、水疱瘡、そして百日咳にかかりました。私は風疹にかかり、光は病気によくないと考えられていたので、真っ暗な部屋の中で数日間を過ごしたことがあります。
猩紅熱(しょうこうねつ)という今ではあまり聞かない病気が出てきます。こどもに多い赤い小さな発疹が出る病気で、昔は恐れられていました。
今では、溶連菌感染症という名前でよばれていて、抗生物質で治療すれば、昔ほど重症には至らない病気です。
目が見えず、耳も聴こえない、そして話せないという三重苦をかかえたことで有名なヘレン・ケラーも、猩紅熱の後遺症だったと考えられています。彼女は命と引き換えに視力と聴力を失いました。
日本では、町や村に隔離病舎(避病院)がありました。防ぐ手立ても治療法もなかった時代には、頭を冷やして寝て明日を待つしかなありませんでした。伝染病で亡くなる人があまりにも多いために火葬場の近くに建てられたこともあったようです。
患者が出ると、名前と住所が新聞に載り、家に隔離のサインを貼らなければならないこともあった。
これらの感染症のなかには、隔離のサインを家のドアに貼り付けなければならないものもあり、その家庭の子は学校をたくさん休みました。
昔のアメリカでは、隔離のサインを窓に貼らなければならないというきまりがあったようです。具体的な例では、1916年のポリオ流行があります。
1916年6月17日、ニューヨークで行われた公式発表によれば、アメリカ全体で2万7千を超える患者が発生し、6千人以上が死亡。ニューヨーク市だけでも死者は2千人を超えたようです。
ポリオに感染した人の名前と住所が新聞で公開され、その家には隔離のサインが貼りつけられました。隔離命令に違反したり勝手に剥がしたりすると、最大100ドル(2019年時点の2,846ドル相当)の罰金が科せられました。
この画像は、1915年ごろにアメリカで実際に使われていた隔離のサインです。(出典: Wikipedia Commons: Polio quarantine card)
スミス博士が大人になって知った「生存者たち」とは?
大人になって、私は「生存者」たちを知りました─こどものときかかったおたふく風邪で父親になれない男性、ポリオで腕の筋肉が麻痺している女性、水疱瘡の痕が残った人、麻疹で耳が聞こえなくなった人、結核療養所で3年間を過ごした男性、妊娠中に風疹にかかり、精神発達遅滞の子どもをもつ女性です。私にはポリオにかかり、今はポストポリオ症候群─ 治療法の知られていない、筋力低下、疲労感、痛み─を患っている友人がいます。
当時はまだ人工呼吸器もありません。ポリオで呼吸麻痺を起こしたこどもを助けられるようになったのは1930年代から50年代にかけて「鉄の肺」が使われるようになってからです。
今の人工呼吸器とは異なり、首から下を装置の中に入れる大掛かりな装置で、装置内部の圧力を変化させることによって呼吸をたすける仕組みでした。
1950年ごろの集中治療室は鉄の肺に入れられたポリオ患者で埋め尽くされていました。(出典: Wikipedia Commons: Iron Lung ward)
鉄の肺に入った患者は数か月、数年、時には一生をその中で過ごすことになりました。ギネスブックの”Longest iron lung patient“に認定されているのは、オーストラリアのジューン・ミドルトン (June Middleton) で、60年半におよんだそうです。
ジューン・ミドルトンよりも長く61年を過ごしたのがアメリカのマーサ・メイソン (Martha Mason) です。高校に進学し、大学をトップで卒業、記者として活躍し、音声認識ソフトで自伝を書きあげました。”Breath“というタイトルで、アマゾンのKindleで読めます。2014年に日本の世界仰天ニュースでも取り上げられていて、リアルタイムで見た記憶があります。
「生存者」とその背後にいる無念の死者
生存者たちはワクチンや抗生物質以前の時代に病気を経験しました。
ヘレン・ケラー、鉄の肺の中で過ごしたジューン・ミドルトンとマーサ・メイソンはもちろん、記事を執筆したスミス博士自身も、ワクチンや抗生剤のない時代に感染症にかかり、生き延びた人たちです。
ワクチンや抗生剤がある約90年経った現在でも感染症とのたたかいは続いており、「生存者」は減るどころが増え続けていく一方であり、その「生存者」の背後には無念の死が積みあがっています。
今日もCOVID-19により多数の人が亡くなり、後遺症で苦しむ人も増え続けています。COVID-19とのたたかいで感染症を身近に感じ、死を意識したという人もいるでしょう。それはまさに先人たちが経験してきたことなのです。