最近、新型コロナ対策で小学校の給食の時間に手話を使う取り組みが行われているというニュース記事が話題になりました。
この記事を受けてツイッター上では、さまざまな意見が飛び交いました。
聴こえない当事者からは、素晴らしい取り組みと称賛されていることに対して、この取り組みが終わったとたんに、もう手話いらないよね、となってしまうことを懸念する声もありました。
手話はろう者の言語なのだから、聴者がただの便利な道具として使うべきではない、いやいや、文化だなんて大げさな、手話なんてただの道具でしょ、というやりとりが繰り返されて、手話はマイノリティの言語なんだなぁということを実感したしたしだいです。
言語は、なにかのきっかけで出会って、必要に迫られて本格的に学び初めて、歴史や文化に触れ、いつしかそれが自分の人生にとってなくてはならないものになる─私にとっては、それが手話です。
手話に出会ったことで、人間関係はより広く広がり、聴こえない世界を以前よりも肯定的に捉えられるようになりました。聴こえないということはネガティブなことではなく、むしろ特別なギフトなのだと感じています。
手話は聴こえない人「だけ」のものではない
さて、発端となった記事のようなかたちで、聴者が聴者のために手話を使うこと自体は構わないと思います。手話はろう者のためだけにあるのではありません。聴こえる人が使ったっていいのです。
中世(13世紀ごろ)の修道院で、沈黙の戒律を守るために修道士たちが編み出したのが、音声言語のかわりに、手話(手まね)を使うという方法です。
それが手話を使って聾唖児に教育を授けるというアイデアの源になり、ヨーロッパ各地に聾学校が生まれたともいわれています。
沈黙の戒律に生きる修道士だけでなく、音楽プロデューサーのつんくさんのように声帯を摘出して発声が難しい人もいますし、健聴だけど音を聞き取るのが難しい人もいます。
ダイビングや騒音下での作業をするときなど、聴者の世界でも、手話が活躍する場面はもっとたくさんあると思います。
聴こえる、聴こえないに関係なく、さまざまなニーズを持つ人に対して、手話の門戸は広く開かれているべきだと思います。
ろう者にとって手話はただの道具ではなくアイデンティティの柱
一方で、手話は聴こえない人たちにとって大切なものであるということは知っておいていただきたいのです。
それには、かつて、聴こえる多数派によって、手話を取り上げられ、手話を自分たちの手に取り戻してきた歴史が大きくかかわっています。
1880年(明治13年)のミラノで行われた聾教育に関する国際会議で、手話を排除し、口話法のみを推奨する決議文が可決されました。手話は音声言語に劣るものとされ、聾教育から手話を排除し、手話を使わない口話教育が推し進められました。
当事者を置き去りにしたまま、多数派の聴こえる人たちによって、手話を取り上げられた歴史の遺恨がいまだ根強く残っているのです。100年以上たったいまでも。
日本をはじめ、世界各地で、手話は音声に劣るものとされ、聾学校で手話を使うのを禁じられました。手まねをしないようにと、手を縛られ、聞くこと、話すことを強制されました。手話を使ったら体罰を受けるのも当たり前のことでした。
現代では、運転免許証を持つことができますし、弁護士になることもできます。それは、先輩たちの血の滲むような努力がなければ実現しえなかったことです。
だからこそろう者(Deaf)を自認する人々は、手話は自分たちのアイデンティティの柱であり、プライドを持って手話を使っているのです。
私たちは、聴覚障害者(deaf)ではなく、ろう者(Deaf)なのだ、と。
(※英語のdeafという単語は「耳が聴こえない」という意味ですが、頭文字を大文字にすることで「ろう者」という意味になります。cf. deafの意味・使い方|英辞郎 on the WEB:アルク)
ろう者のやり方を拒絶するのではなく理解する
聴者は聴こえる世界に住んでいて、ろう者は聴こえない世界に住んでいます。この二つの世界を互いに行き来することはできず、マリアナ海溝なみに深い断絶があります。
同じ日本に住む日本人であっても、聴こえない世界のコミュニティには独自の歴史と文化があります。机を叩いたり照明を点滅させたりして合図したり、どういった行為が失礼とみなされるのか、あるいはみなされないのか、など、聴者との違いが存在します。
私たちは、手話、補聴器、文字などを使うことによって、断絶を超えて、異なる世界に住む者同士で喜びや悲しみをわかちあうことができるのです。
最近ではアメリカのBlack Lives Matter運動の影響を受けて、White=良い、Black=悪い、というかたちで対比されることが問題になりました。ある開発者のコミュニティでは、黒と白を許可されない、されるという意味で使用するのは多様性を支援していないとして禁止されました。(Linuxカーネルでの「master/slave」と「blacklist」禁止、トーバルズ氏が承認 – ITmedia NEWS)
黒人の人たちの苦難の歴史を知らなければ、なぜ彼らがBlackということばにプライドを感じ、ネガティブな文脈で使われることに対して悲しみを覚える人がいるのか、理解することは難しいでしょう。
日本ではBlackということばは黒人の肌の色ではなく、多くの人にとっては、自分たちの髪の色であったり夜の闇であったりすると思います。
ですが、なぜそのような考え方が生まれたのかを知り、尊重することは、異なる文化的背景を持つ人とコミュニケーションするうえでは重要なことです。
アメリカとイギリスでは同じ英語という言語を使いますが、使われる単語や文法に違いがあるだけでなく、文化的な背景も違います。
相手の文化を知り、背景を理解しようという気持ちがなければ、ボタンの掛け違いが続き、あとになって大きなトラブルを生みかねません。
手話を学ぶうちに、ろうコミュニティと接する機会も生まれることでしょう。自分たちと異なる、ろう者のやり方に気づき、違和感を感じることもあるかもしれません。そのときに、ろう者には常識というものがないと考えるのではなくて、どうしてそのようなやり方をするのか知ってほしいと思います。
「誰のために手話を使うのか」という意識が必要
聴者どうしで使う場合であったとしても、聴覚障害を理解するためであるならば、それが本当に聴こえない人のためになっているのか問うことは必要でしょう。
たとえば音声の歌に手話をつけて、聴こえない人も一緒に楽しもうというイベントがあったとします。
聴者は「楽しかったね」「私も手話を勉強してみようかなあ」とか思う一方で、ろう者の中には「手話がよく分からなくてイマイチだった」「音楽が伝わってこない。楽しめない」という別の感想を持つ人もいます。
歌詞の日本語に手話を当てはめるだけでは手話に翻訳されているとはいえませんし、実際に歌うときには音楽にひっぱられて中途半端な手話表現になってしまいがちです。(YouTubeに動画が多数上がっていますので、ためしに音を切って手話だけを見てみればわかります。)
どのような工夫をすれば自分たちの音楽を聴こえない人にもシェアできるのか。それはやはり手話を使う聴こえない人と一緒に考えながらやるべきことです。聴者の自己満足で終わって、相互理解も得られないままでは、そのイベントは成功とはいえないのではないでしょうか。
今回の給食のケースでは、使用場面は聴者どうしのやり取りです。そこに、聴覚障害の理解を深めるという教育的な意義が付け加わっているようです。
理解を深める目的があるのであれば、コロナ対策が終わったと同時に手話もいらないよね、というかたちで終わらないように、手話はろう者にとって大切なものであることをしっかりと伝える配慮が求められると思います。
手話は学び続けていくことが大事聴こえる世界で見る景色も変わっていく
手話を語学として学ぶきっかけ自体は、新型コロナ対策でもいいし、聲の形がきっかけでも、何でもいいと思います。
英語と同じように気軽にはじめて、止めたくなったら止めていいし、戻ってきたくなったらいつでも戻ってきて構いません。ウェルカムです。
手話を学び続けるうちに、ろう者の歴史や文化に接することがあると思います。そのときはいったん足を止めて一緒に考えてみてほしいのです。
もし、日本語を取り上げられて、英語を使うことを強制されたら。もし、音のない世界の中で自分だけ聴こえていたら。いろんなことに想像をめぐらしてみてください。聴こえる世界で見る景色が少し変わってくることでしょう。
手話を分からない人にとっては身振りかジェスチャーにしか見えないその動きは、手話ということばで、聴こえない人たちがずっと大切にしてきたものだということも、少しずつ実感を伴って理解できるようになるはずです。
そしていつしか手話はあなたの人生にとってなくてはならないものになるでしょう。「これが、手話なんだ。私の人生になくてはならない言葉なんだ。」と気づいた日の私のように。
手話が生きた言語として理解できるようになった瞬間の喜びは、学び続けて得られるもの。たった一日の講習会だけで得られるようなものではありません。
コロナ対策をきっかけに手話に出会った皆さんが、この先手話をもっと学びたいと思ってくれること、そして、ある日手話がスッと頭に入ってきたときの喜びを感じてくれたらなと願っています。