[資料] 1965年の沖縄(琉球)での風疹流行 : 国会議事録から

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国会会議録検索システム において「風疹」をキーワード検索し、沖縄における風疹流行に関連する発言をピックアップしたものです。

第61回国会 参議院 社会労働委員会 第3号 昭和44年2月25日

○大橋和孝君 時間が超過いたして申しわけありませんが、いま沖繩で風疹が非常に問題になっておりますので、二、三点ちょっとお伺いしたいと思います。

御存じのように、三十九年から四十年にかけて、沖繩本島だけでなくて、あるいは八重山とか宮古島あたり全体にかけて非常に風疹がはやって、御存じのようにこれはウイルスなわけでありますが、ことに妊娠の初期に罹患した人が子供さんに対して異常を来たす。

特に先天性の白内障でありますとか、あるいはまた難聴だとか、いろいろこうした問題が出てきているわけであります。特に、その状態は、ことしになって一月の終わりごろから調査団が行かれたわけでありますが、その間四十年から長い間を経過いたしておりますけれども、もしこれが内地で起こったとするならば、大問題になっていると思うのであります。これが沖繩であるために、沖繩琉球政府が見かねてこれを本土に要請をしてきた、だからしてこれをやったというわけでありますけれども、その結果を見てみますと、非常な大きな結果に私もびっくりしているわけであります。

特に、難聴なんかにおきましては、五百五十五人の身体障害児を検査した中で三百三十九人もあった。その中で、ほとんど聞こえない人が二百二十八人もおる。こういう三歳から三歳半ぐらいの子供があるということであります。また、心臓病なんかにいたしましても、五十二人ぐらいおって、それは手術しなきゃならぬ人が何人でしたか、二十何人おる。特に、二つも三つも重なってきて、あるいはまた、心臓なんかも重症でいますぐやらなければいけないというような人も三名か数名あったというような報告を聞いておるわけです。白内障についても、二十一名か二十二名かあって、みな手術を要する状態だという報告を聞いた。これが発表されたのが今月の二十何日でありますけれども、これを見て私は非常に問題があると、こう思います。

私は、時間がありませんから、問題点だけをちょっと伺っておきたいと思いますが、こういう状態が起こってきたのが内地で起こったとするならば、いま申したように大問題でありますが、これはいままでの沖繩における母子の健康管理ですね、こういうようなものが全然なされていない、こういうことが大きな原因ではなかろうか、こういうふうに思います。この中で、問題点を四つ、五つ申し上げますから、これについての御答弁を願って、時間がありませんからとめていきたいと、こう思います。

沖繩においては、医者の率なんかは、人口十万人に対して、日本の最低の県に比べても、その半分か三分の一しかない、こういうようなことで、ことに眼科なんかは全土に対して六人ぐらいしかいらっしゃらない。その中で眼科の手術ができるような設備を持っているのは二カ所しかないというんですね。これは全体の人口から比べましたらたいへんな問題だと思うのです。こんなことで少なくとも眼の管理はできない。眼というのは非常にたいへんな問題ですから、こういうようなことを考えてみると、私は非常に大きな問題があると思います。ですから、この調査をされた中でいろんな調査があると思いますが、私はこの調査の結果を、厚生省のほうにも報告が来ていると思いますから、詳しいデータをひとついただきたいと思います。ことに、いままでの間に、こういう生まれた赤ちゃんから三歳児になるまでに、こういうような関係があって、たとえば重症な心臓とか、あるいはほかのものとが重なっていたために、亡くなってしまっている人もかなりあるんじゃないかと思いますから、そういうことも含めた詳しいデータを、今度調査されましたいろんな項目についての詳しいデータをあとから御報告を願いたいと思います。

それから同時に、ここで医療従事者というのは非常に大きな問題があります。特に、この中で、あれは何といいますか、准医師といいますか、医者でなくて沖繩だけで許可をしている医者の代行のような資格があるわけであります。このあいだも何かで見ますと、弁護士とか公認会計士とかああいうようなものも沖繩では特別な身分でできている、これを本土並みにするにはどうかという問題も出ているといわれておりますが、こういうようなことで、医者の充足はどうするか、あるいはまた従業員の充足をどうするか、あるいはまたそうした医者でない身分の人、こういうようなものを本土並みにするにはどうするか、こういうような観点なんかでひとつ考え方をお聞きしておきたいと思います。

それからもう一点は、ここでこういうような母子を管理するために、本土では保健所が十分な機能を発揮しているわけでありますが、沖繩ではおそらく保健所システムがなかったと私は調査に行ったときは見てまいりました。ですから、そういう状態で、一体母子保健の健康を管理するのはだれがやってどうしているのか、こういうようなことについてもひとつお聞かせいただきたい。

それからまた、医療制度を考えてみますと、これは前にもこの委員会でお考えを聞いたことがありますけれども、療養費払いと申しますか、医者にかかっておいてあとから医療費を返してもらうというシステムです。このデータは、たくさん前にもあれを持っておりますが、時間がありませんから申し上げませんが、その受診率においても、あるいはまた掛け金から払い戻されるところの金額においても、ほとんど三分の一ぐらいじゃなかったかと思います。もっともあすこは住民は国民健康保険がありませんから、被用者保険だけでありますけれども、本人が七割、家族が五割になっておったはずであります。その掛け金、保険料を払っておきながら、今度病気になったときに医者に払った金額の領収書を持っていってそれで払い戻してもらうわけですが、その量は掛けた金額から比べたらおそらく半分以下だったと思います。だから、琉球政府では、健康保険をやりながら、返す金が少ないためにものすごくもうかっているという非常に理想的だといわれた健康保険システムです。ところが、政府のほうでは理想的だろうが、患者はかかれない、こういうことも原因して私はこういうことが起こっているのではないかと思います。実にこれから将来をになうところの子供たちに対しては惨酷きわまりない結果をきたしている、こう思うわけであります。こういう点から言いましても、健康保険制度あるいはまた医療制度というものを本土並みにするにはそう長くかけてはいけない、早くこれを引き上げなくてはならないと思うのでありますが、こういう点についてもちょっとお考えを聞いておきたいと思います。

○政府委員(渥美節夫君) 昭和三十九年から昭和四十年までに沖繩におきまして流行いたしました風疹の問題につきまして、総理府の要請に基づきまして、厚生省を主体といたしまして検疹班を派遣いたしましたので、その点に関しまする調査結果等を中心として、私から申し上げたいと思います。なお、沖繩におきます医療制度あるいは健康保険制度等につきましては、私よりも適当な局長が御答弁したほうがよろしいかと、かように考えます。
御指摘のように、風疹が妊娠特に妊娠初期の妊婦の胎児に影響いたしますることは、もうすでに十七年ぐらい前から学界でも報告されております。それで、昭和三十九年から昭和四十年に生まれました子供につきましての問題点が数年前から言われておったのでございますが、先生御指摘になりますように、沖繩におきまする専門の医者が非常に少ないというふうなこと、それから言語の発達がやはりその年齢によりまして三歳ぐらいからでないと明白にわからないというふうないろんな点がありまして、最近までこの調査が行なわれなかったわけでございますが、琉球政府の要請によりまして、総理府から私どもに調査につきましての要請がございました。そこで、この一月の終わりから二月の十六日にかけまして厚生省があっせんをいたしまして、小児科、耳鼻科、眼科、精神科、整形外科の専門の医師、それから聴能訓練、言語、児童心理等、児童の専門の職員、こういう方々からなる十二名の調査団を派遣いたしました。五つの地域に分けまして、五つの保健所におきまして検疹をいたしました。
検診に来られました子供さん方五百五十五名のうちで、いわゆる先天性風疹症に基づいて異常がある、かように考えられました症例は、五百五十五人のうち三百六十人でございました。このうち、先天性心疾患を持ちます子供さん方が五十二名、それから先天性の白内障、いわゆる白そこひでございますが、こういった先天性の白内障である子供さんが二十八名、最も多いのは聴力障害でございまして、三百三十九名、かようになっております。いまの数字のうちには合併症の子供さんも含まれております。特に、合併症で、心臓疾患、それから視力障害、聴力障害、この三つをすべて合併している子供さんの数が二十一例というふうなことでございます。したがいまして、こういった子供さんにつきましては、その症例によりましてそれぞれ適切な処置を講じなければならないわけでございます。
先天性心疾患につきましては、このうち緊急に手術を要するという子供さんが二名でございましたが、その他の者につきましては、あと三、四年待って手術をいたすほうが適切であろう、かように考えております。
それから先天性の白内障でございますが、二十八例ございます。このうち特に二十人の子供さんにつきましては、現地あるいは本土に移送いたしまして早急に手術をする必要があると思います。
三百三十九例の聴力障害の子供さんにつきましては、ともかくそういった聴力の聴能訓線が必要でございまして、そのためには補聴器を大至急支給いたしまして、それによりましての言語訓練を行なう必要があるわけでございます。そういったことで、このような点につきましては琉球政府それから総理府と十分連絡をいたしまして厚生省といたしましての協力体制をとりたい、かように考えておりまして、この三月には、すでにいろいろと計画を立てておりますが、特に聴力障害の聴能訓練あるいは言語訓練につきましての専門の医師あるいは指導団を派遣したい、かように考えておるところでございます。
なお、最も大きな問題は、こういった聴力障害の子供が非常に多発しておるわけでございまして、三年後あるいは二年後に控えておりますところの義務教育をいかにすべきかという問題がございます。この点につきましては、さらに文部省とも十分連絡をとりたい、かように考えておるわけございます。
先ほど、沖繩におきまして保健所システムがどうかというお話がございましたが、ただいま保健所と申しましたのも、名護、コザ、覇那、宮古、八重山、こういった五つの保健所を中心としてやりまして、ここには医師のほかに公衆衛生看護婦と称せられる職制がございまして、こういった方の協力も非常にあったわけでございます。もちろん、医師が、先ほど御指摘のように、本土に比べまして非常に少ないということがございますから、今後とも、聴力障害、あるいは白内障、心疾患の子供たちに対しましては、内地から専門の医師の派遣でございますとか、あるいは子供たちを内地に移送いたしましての手術というふうなことで現実的には解決しなければならないわけでございまして、本質的には沖繩の医師が非常に少ないというふうなこと、あるいはそれに従事する職員が非常に少ないというふうなことが問題にされることと思うのございます。
なお、母子保健体制につきましての御質問でございました、内地におきましては、児童福祉法のほかに母子保健法という法律がございまして、諸制度が不十分ではございますが確立されておりますが、沖繩におきましては、児童福祉法はございますけれども、母子保健法はまだ規定されておりません。現在の議会におきまして提案されておりまして、この次の年度から沖繩におきましても母子保健法が制定されるという見通しがあるということは伺っておりますが、そういった点では不十分であろう、かように考えております。
以上児童家庭局の所管につきましての御説明を申し上げました。

○政府委員(松尾正雄君) 沖繩の医療の問題につきましてのお話でございましたので、簡単にお答え申し上げます。
医者の数は、御指摘のとおり、本土の人口がほぼ沖繩に匹敵するようなところに比べまして、たとえば高知県、島根県、香川県といったような百万前後の人口というところの指数にいたしまして、大体半分またはそれ以下という実態にございます。したがいまして、その他の職種におきましても不足ではございますけれども、ただいま、こういう実態に即応いたしまして、御承知のとおり医療援助という形でやっておりまして、保健所をはじめ、僻地、離島にあるいは精神、結核といったようなそれぞれの専門家を毎年約百名前後現地に派遣いたしまして、とりあえずそういうハンディを埋めるという措置をとっておるわけでございます。
なお、将来の医師の充足問題といたしましては、琉球政府の奨学金をもらって本土の医学部に入学をしておられる学生の方々が、卒業されて向こうへ戻らないという悩みを非常に訴えておられたわけでございます。したがって、なるべくその出身者の方々が帰っていかれるような促進策を講じなければならないということでございますので、政府立の中部病院というものの整備を十分にいたしまして、ずいぶんりっぱなものができてまいっておりますが、そこで、例の、過去におきましてはインターン、現在におきましては臨床研修というものが受けられるように体制を整備いたしまして、すでに十一、二名の学生がそこに帰って勉強しておるような実態でございます。
そのほか、一般のほかの職種の充足につきましても、琉球大学に保健学部を設置するというような計画が進んでおります。これらが設置できますならば、それに付属する病院とともに、より高度の医療あるいは訓練ということが可能になろうかと考えております。
そのほか、ただいま、こちらに収容してというようなお話が風疹につきましてもございましたが、沖繩の結核患者につきましては全部本土の療養所で収容するという方針をとってまいりまして、現在までに二千百五十三名ともいうのが国立療養所に入りまして手術を受けております。
それから、らい患者につきましては、らいの療養所は向こうのほうにもございますけれども、らいの高等学校というものがございません。これも国立の内地における高等学校に二十名収容するということで、できるだけ向こうの不足分をカバーするように努力しておるような次第でございます。

第61回国会 参議院 社会労働委員会 第26号 昭和44年6月24日

○大橋和孝君 えらいおくれましたが、もう一つ、十分か十五分沖繩の風疹の問題についてちょっとお伺いしたいと思います。

これは、厚生省のほうも非常に大きく取り組んでいただきまして、調査団も出していただき、あるいはまたいろいろしていただいているわけでありまして、いろいろその調査の結果、あれは一九六四年、五年だったと思うのでありますが、猛烈な風疹の大流行がありまして、そのために妊婦の病気になられた方々から相当たくさんな障害児が、わずか半年近くの間に三百何十人とか、四百人近いような人ができたように聞いております。特にそれがトリオと言われておるところの三つの症状、たとえば心臓に欠陥のある人、目に白内障、緑内障のある人、それに難聴というのがそろってある人、あるいは別だにある人というので、非常にたくさんできたわけであります。難聴が三百何十人でしたか、六十九人だったか何ぼ、それから心臓に奇型のある人が五十二人だったか、それからまた白内障二十八人とか、報告書を私読ましていただいたわけでありますが、こういうようなことが起こって、おそらくいままでにも想像されぬようなことが起こったわけでありますからして、その後調査団の報告書によりますと、非常にいろいろろうばいをされていると思うのでありますが、その中で私が聞きたいことが三、四点あるわけなんです。

それは、どうも私不可解なんで、十分に納得できない点はどういう点かと申しますと、こういうような大流行があったときに、もうそういうことはすぐ考えられなければならない、風疹が妊娠初期の人に起こったならば、子供さんにそうした障害児が出るということは、もう十分に前からわかっておるわけです。それに対して、そのときに対応するような処置がなぜ行なわれなかったのか。これは考えてみれば、この風疹そのものが非常に軽いものですから、おそらく内地でも、かかっておっても医者にかからずに済んでいる分もあると思いますし、特に沖繩ではそういうことがあり得たというので、さも、あたりまえのように言われるかもしれませんけれども、やっぱりこういう問題は、特に注意してもらわなければならない点だと思うわけであります。そうした公衆衛生活動というものが非常にうまくいっていない。考えてみるならば、沖繩では保健所の数からいっても四カ所か五カ所ですね。それで非常にうまくいっていないということがこのような悲惨な状態になったんだろうと思うのでありますが、こういうことについても、今後日本と同じような形で沖繩を復帰させるという考え方からいえば、私は、この問題に対して非常に積極的に取り組んでもらわなければならない、そういう点であります。それにかかわらず、今回の報告を見ておりますと、たとえばNHKから百何台とか、あるいはまた耳鼻咽喉学会から三百何台、こういうものが寄贈されてやられている。私は、そういう方々が善意でやられておることに対して感謝するし、また国としてもそれで非常にいいと思うわけでありますけれども、そこで不可解に思う点は、そういうことであれば、もっと国が積極的にやろうという——乗り出した方が善意でやってもらうからそれでいいという形でおられること自身に対して非常に私は不満に思うわけです。特に、そういう問題が出たならば積極的に取り組んでもらって、そうして早く調査団を出して、これに対してはこれだけのあれをしようというようなことをどんどん提案してもらうべきではないかと思うのでありますが、第一点に、私はそういうふうな報告書を見て、善意な形でもって三百何ぼか寄贈されてやられておるということに対しまして、私は非常に心細く思う。特にその中でもう一点私は不可解に思った点は、非常に難聴なんかも進んでおりますので、やはりいまの政府で考えておられるような一万円ぐらいの補聴器ではなく、もっと高性能のものを使わなければだめだという結果になって、こういった善意でやられておる方々も三万円近くするものを出しておるんですから、こういうような点でも、政府が先に旗を振っていただく、こういうようなことでなければならぬ。そうして善意のものは善意のものとして受けて、また善意で受けたならば、それに対してあとの対策ではこういうふうに向けてやるんだということをやっていただきたい。こう思うわけです。ところがこの対策を見てみますと、これはもちろん文部省と厚生省でいろいろ話を分けてやっていただきますからうまくいっているだろうと思いますけれども、話を聞いてみますと、そこのところに非常に問題があるわけです。今年度は何でも心臓の手術を五人とか、それから目のほうの処置を十七人とかおきめくだすったと聞いておるわけですが、それはそういうふうなものであるかどうか。もし、そういう考えでいくならば、こういう方面にもっとどんどん金を出して十分なことをやったらどうか、こういうふうなことを考えると、何か厚生省の取り組み方が消極的ではないか。

また、総理府のほうでも向こうのほうに対してのあれをされるわけですから、厚生省ばかり言ってもいけないわけでありますから、総理府あたりもそういうことを考えて、そうして厚生省と話し合いをつけて、これに対してもっと前向きな姿勢でやるべきじゃないかと思うんですが、この三点について。

○委員長(吉田忠三郎君) ちょっと速記とめて。
〔速記中止〕

○委員長(吉田忠三郎君) それじゃ速記をつけて。

○政府委員(渥美節夫君) 御指摘の沖繩におきますところの風疹障害児の問題でございますが、第一点の、もうすでに昭和三十九年から四十年にかけて風疹がはやっておるということがわかりながら、対策が非常におくれておるじゃないか、こういうことでございます。もちろん、風疹が流行した場合におきまして、その後障害を持つ者が発生するという学問的な問題はあるわけでございます。ただ、やはり生まれた子供が二つ、三つ、四つということになりませんと、難聴の問題にいたしましても、先天性心疾患の問題にいたしましても、なかなか発見がしにくいというふうなことがございますし、御指摘のように、沖繩におきますところの公衆衛生活動、その拠点にありますところの保健所の活動につきましてもやはり遺憾の点があったと思って、この点につきましては、今後そういった予防活動につきましての重点を考えなくちゃならない、かように思っております。

○大橋和孝君 はっきりしていますから問題点だけ言います。ぱっぱと答えてください。その問題点は、結局五人と十七人にきめた。だからこれは当然もっと国が出さにゃいかぬということに対する考え方、それからいま話によると五人というのは心臓のほうにやっていますけれども、これは何とかして公費でやりましょうということを言っているけど、目のほうに対してはこれは金がないからやらぬと言っている。こういうことではいけない。当然金はわずかな金、二百万円くらいですね。ところが、話を聞けば、百万はNHKから出してもらう、また民間に頼っているわけです。そういうようなやり方ではいかぬので、これはもっと国がどんどん前向きにやるべきじゃないか。民間では千六賞九十万も金を集めているわけです、こういうことに使おうと言って。この中からまた百万もらう。あっちこっちから金をもらってやろうとするこの態度は実にけしからぬ。ですから、これはもう国のほうで、あとの対策はこうやりましょう、特に文部省と厚生省とで、難聴の人をいかに教育していくかということに対してはどういうものをつけましょう、こういうようなことを少しかっちりやらなければいかぬ。

もう一つ伺っておきたいことは、来年の一九七〇年は風疹の大流行期、こう言われているんです。内地に対してもこれは何もやられていない。ワクチンの開発もやらなければいかぬ。ワクチンの開発に二、三年かかると言っているが、日本のいまの状態でちょっと腰を入れてやりさえずれば、こんなものはすぐ開発ができる。もし、これが開発できないで、来年こういうものが起こったら、日本にも同じようにまた難聴の人が何千人かできてくるわけですよ。こういう点はどうするか、この四つの点に対してぱっぱと答えていただきたい。

○小野明君 私も関連していますから、大臣にひとつ明確な御答弁をいただきたいと思います。というのは、いま大橋君が指摘していますように、民間だけに全くげたを預けてしまいまして、いま手術をすれば救えるものを、人数を限ってしかやらない。まことにおそまつな話で、しかもこれは新聞報道によりますと、佐藤総理ほか福田大蔵大臣、現閣僚が全部で二十万円かお出しになった。けたが二つほど違うんじゃないか、こう思ったのです。それぐらいの慈善的なことでおやりになるよりも、来年度の予算、本年度の予算なりで措置するということで緊急に——三百六十五名くらいおられるというんですが、救えるものなら、早くやっぱり措置をしておくということがいいんじゃないか。わずか総理以下閣僚そろって二十万というのは全くこの問題に対する政府の姿勢を私はあらわしておるものだと、こうとしか言えない。ですから、この問題について大臣の御答弁をお願いしたいと思います。

○国務大臣(斎藤昇君) 沖繩の風疹児対策につきましては、私はやはり政府ベースでやるべきだと考えます。民間ベースに依存することなしに。そういう意味で、本年の施策におきましても、殊に来年度予算におきましても、総理府に連絡をいたしまして、御趣旨のようにやるべきものだと、かように考えます。

一九七〇年には、日本にも風疹が大流行をするのじゃないか、それに対する備えいかんというお尋ねでございますが、私どもの考え方としては、日本にはそう流行すまいという考え方でございますが、その詳細は専門家からお答えをします。

○政府委員(村中俊明君) 風疹の流行についてでございますが、現在ビールス学者の研究によってわかっておりますことは、日本の風疹の流行のときのビールスと、それからアメリカで数年前流行いたしましたビールスと、毒性において相違があるということが動物実験において証明をされた。しかも、日本国内におきましては、小規模で次から次から流行していく。二十歳を過ぎますと、大体九〇%以上の免疫を持っているというふうな実態から、ただいま大臣が申し上げましたように、爆発的な流行は、まず来年についてはないだろうというのが一般のビールス学者の意見でございます。ただ、問題は、ビールスが同じでございますので、こういう毒性というのが、一体アメリカと日本でなぜ違うのかという点の究明がまだ残されている。御承知のとおり、ビールスの毒性復帰は、人体を通じて強くなるというふうな学問的な常識があるわけでございまして、この毒性が強くならない段階で、早くワクチンの開発をやるというのが私は方法だ、こう思います。

○政府委員(坂元貞一郎君) 風疹に対する生ワクチンの開発でございます。今年度の研究費ですでに研究に着手しております。しかし、これでは不十分でございますので、明年度予算で風疹の生ワクチンの開発研究をやるようなことを現在考えております。おそらく明年度の研究開発の予算がもし計上されますならば、明年度限りで風疹ワクチンの開発は明るい見通しができる、こういうふうにわれわれは期待をしております。

○説明員(岸良明君) 総理府のほうで沖繩に対します予算を算定しております関係から、御説明申し上げたいと思いますけれども、風疹に対しまして、先ほど先生が御指摘になりましたように、民間の寄付にたよっているというおことばですが、私ども実を申しますと、そういう意志は全然ないわけでございます。もともとこれは総理府のほうから援助策といたしまして、厚生関係につきましては、約一九六九年度で二十七億出しております。また一九七〇年度は四十四億出しております。したがいまして、そういうような援助予算に基づくところの沖繩の琉政の予算で、これに対する対処ができるかということをまず検討してみたわけでございます。ちょうど年度の半ばでございまして、すでに予算等も確定いたしておりますから、非常にその点やり繰りに苦労いたしました。その結果、心臓疾患については、これは政府予算でできる。それから、いわゆる調査団を出しまして、教育指導に関しましては全部これは政府予算でできる、こういう結論が出たわけでございます。なお、目の疾患につきましては、実を言うと、既定の予算がなかったので、これはどういう形でやるか。一九七〇年度の予算が七月一日からでございます。そこで琉政のほうでいろいろ検討させましたけれども、御存じのとおり、歳入欠陥等のいろいろの財政事情から、なかなかそれが出てこないというような状態になりましたので、幸いと申しますとおしかりを受けるかもしれませんけれども、民間でそういう御寄贈の申し出がございました。当面はこれを活用してこの目の治療をやろう。何しろ早急にやりませんと失明になる、こういうことでやったわけでございます。もちろん一九七一年と言いますか、四十五年度以降の予算をどうするかということについては、当然これは国の責任において、何らかの措置を講ずると、こういうことを検討中でございます。

第63回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 閉会後第5号 昭和45年10月21日

○国務大臣(山中貞則君) 大体全体を特別措置法というようなもので五カ年計画ぐらいの段階で締めて目標年次を示しながら、これはとても五年では済まないものも多うございますし、五年で目的を達成して経過措置を終わるもの、あるいは、予算上さらに第二次五カ年計画に入っていくもの、いろいろと整理していかなければならぬと思いますが、基本的には、復帰前の年においても、内地ならば県立の高校等について建設費補助等はいたしておりませんが、ことしの予算で、御案内のように、商業高校の建設に補助をいたしましたし、来年度もそういう予算を組もうといたしております。さらに、沖繩で、ある年において見舞われた結果として風疹児という不幸な子供たちが生まれましたけれども、頭脳は正常であって耳だけが非常に難聴であるこの子供たちが来年義務教育の一年生になります。これをどうするかということが大問題でございまして、私も直接風疹児の子供たちと話してみて、やはりこれは何らかの教育をしなければなるまい、特別な環境が必要だと思ったんですけれども、やはり本島に一カ所だとか宮古に一カ所だとかいう集め方をしないでくれ、幼い学童たちですから、できればもよりの、普通の生徒たちの通学できる学校に併設した特殊教室をつくってほしい、知能は正常なんだから、心身障害児とかなんとかという児童と一緒に特殊学校に入れないでくれという強い御要望がありますし、私もごもっともな親の気持ちだと思って耳を傾けまして、来年度の要求としては、風疹児の新入学学童受け入れのための教室の増設等についても大体全部まかなえる——まかなえると申しますか、受け入れることが可能な予算を要求いたしております。数字的なこまかいものが必要ならば長官から述べさせます。

第65回国会 参議院 文教委員会 第4号 昭和46年2月18日

○政府委員(宮地茂君) いまの先生がおあげになりました訪問教師とか、こういった本土にないようなこともございますし、いまおっしゃいました定数法自身も本土とほぼ同じでございますが、端数の切り上げ切り捨て、まあこういったところで若干人数がふえたりして、いまおっしゃいます程度の先生が、本土流にいけば多いということになりますが、本土復帰の際にそれをすぐ切って落とすというようなことは絶対にいたしません。ただ、そのためには、風疹児の担当とか訪問教師、こういったようなものは、たとえば特殊学級をつくって、これは難聴児ですから特殊学級等をつくっていくとか、いろいろくふうをする必要もございますが、ともかくそういうことで、多少減るとしましても、経過措置を講じますから、復帰と同時にその定数を落とすということはいたさないつもりでございます。

○安永英雄君 私も現地へ行ったんですが、この風疹による難聴児というのが急に出てきておるわけですね。これ四百名くらい現在一緒に発生しているというふうな状態が生まれてきておるわけですが、聞くところによりますというと、妊娠中に風疹にかかっておると、産まれた子供もほとんど難聴という状態が出てくるというデータも出ておるようですが、沖繩については、特別教育でこの問題を早急に解決しなければならぬということで力を入れておりますけれども、やはり施設、設備、教員の不足、そういったことで役場の片すみに特別教室みたいなものをちょっとつくってやってみたり、教員はおらないで、何とかとにかく集めておく。こういったお粗末な状態で、なかなか苦しんでおるようでありますが、この特殊教育に対する特別の援助措置を、これは険しいわけでありますが、この点何とか早急に対策を打つ必要があるというふうに考えましたが、この点についての対策はないものかどうかお答え願いたいと思います。

○政府委員(宮地茂君) 風疹によります聴覚障害を持っております子供、いま先生が御指摘のように約四百人程度の子供がおります。それが現在五歳ないし六歳の子供になっております。そういうことでこれは一昨年あたりから非常に大きな問題ともなりまして、こういう子供のために早期訓練をしたいといったようなことで、琉球政府の要請に基づきまして、日本政府としましては、総理府と文部省が連携しまして種々この子供たちのための教育対策を講じました。
その一つは、これらの子供の指導教員の要請に関する問題でございますが、現在までやりましたものは、沖繩現地におきまして指導者講習会を開きました。それからさらに、内地から教育指導員を四回ほど派遣いたしまして、さらに沖繩の先生を内地に、いわゆる内地留学として受け入れたりいたしました。まあこういう先生方がいま巡回教師といったような形で、風疹によります難聴児の教育の指導に当たり、さらに保護者に対する指導を行なっております。
それから設備関係につきましては、四十五年度に集団補聴器、卓上補聴訓練器、これを四十八学級分、九百万——千万近くを援助いたしました。なお四十六年度におきましても琉球政府の計画に基づきまして、以上のような措置援助なり指導を引き続いてやる予定になっております。したがいまして本上復帰後もこういう子供につきましては、たとえば特殊学級をつくるとか、いろいろ内地では相当特殊教育につきましてはおくればせでございましたが、相当特殊教育の振興のために設備費等も計上いたしておりますので、御趣旨のような線でこれらの子供の教育の遺憾のないようにつとめたいと思っております。

第65回国会 参議院 社会労働委員会 第5号 昭和46年2月23日

○喜屋武眞榮君 ただいままで一貫して公害問題の論議がなされましたが、沖繩にも基地公害が一ぱいあるわけですが、私はこれからの与えられた時間内で、沖繩のいま大きな政治問題、社会問題となっておる一つの問題として風疹児の問題、このことについて。さらに沖繩の医療行政、医療問題について。三点目は医療保険の問題について厚生大臣をはじめ関係者にお尋ねをし、さらに、この風疹児の問題は、診断と治療という立場からは厚生省の問題でありますが、教育という面ではこれは文部省にかかわりがございまするので、そういう意味で両面へのお尋ねになりますが、よろしくお答えをお願いいたしたいと思います。

まず、沖繩の風疹児問題が問題になり表面化いたしましたのは、厚生省からの派遣医師、それから琉球政府の要請による招聘医師と、この方々が沖繩の児童生徒の健康診断をされた、そもそもそこからこの問題が表面化したわけであります。その面では、まさに閉ざされた二十有余年の間、いろんな問題が内在しながらも、それが伏せられたまま、気がつかないままに放置されておったわけでありますが、幸いに厚生省からの派遣医師のおかげによりましてそれが発覚した。この点、おそまきながら沖繩県民にとってまことに幸いであったと、この点、この場を借りてお礼も申し上げたいわけでありますが、それだけに、その問題が表面化するや、いままで知らなかった間は、知らぬが仏で何のこともなかったわけですが、これが表面化しますや、もういまたいへんな問題となりまして、先ほど申し上げました政治問題、社会問題となって大きくクローズアップいたしておるわけでございます。そのことにつきましては、沖繩現地に来られた派遣医師並びに琉球政府が招聘いたしました招聘医師のきめこまかな実態調査の結果が厚生省並びに文部省に調査報告がなされておると思いますが、その点いかがでありましょうか。調査報告がなされておると思いますが、まずその点、厚生省並びに文部省にお尋ねいたしたいと思います。

○政府委員(坂元貞一郎君) 三十九年から四十年の初めにかけての沖繩における風疹の流行はいま申されたとおりでございます。その結果、いろいろ風疹によると思われる心身障害児が相当発生しているというような状況下にありまして、日本政府からも検診班等を派遣して調査をすると同時に、また文部省当局とも御相談しながら指導班等も現地に派遣して、いろいろ各種の指導をやってきたわけでございます。そこで、いま御指摘のように、検診班というものが四十四年に現地に参っておりますが、その検診班の調査の結果等の詳細な報告書というものは、私ども厚生省としてもいただいております。そういう報告書の中に、現状とこれからの対策というようなものをいろいろ各角度からまとめておられますので、そういう点については私どもも十分承知をいたしております。

○説明員(寒川英希君) 文部省といたしましても、沖繩の風疹による障害児のための教育指導をいかにすべきかというふうなことで、御指摘がありましたように、四十四年の三月、それから七月、二回にわたりまして教育指導団を派遣いたしております。その指導団による現地の状況の詳細な報告は私ども手元に参っておる次第でございます。

○喜屋武眞榮君 それでは、さらにお尋ねいたしますが、その調査の結果の報告等とともに、今度は医師団から陳情書が、この具体的な対策として早目にこうしてもらわなければいけないといった意味の積極的な要望書が、陳情書が出してあると、こういうことでありますが、それはいかがでありますか。

○政府委員(坂元貞一郎君) 第一回目の検診班が四十四年の初めに現地に参ったわけでありますが、いま仰せのように、現地側からのいろいろな報告書、専門家の報告書というものがその後参りましたので、それに基づきましてさらに第二次の調査のための要員を現地に派遣しておる、こういうような経緯になっているわけでございます。

○喜屋武眞榮君 それをお尋ねいたしましたのは、一刻も猶予ならぬ、まあ御承知のとおり、その内容は、目の白内障あるいは耳の難聴、心臓疾患、こういう三つに分けるわけでありますが、その治療対策につきましては——地域的には宮古の地区が率からいうと多い、こういう報告を私も受けておりますが、そのように急を要する前向きな陳情要請に対してまだ何らの答えもない、返事もない、こういうことで、実はその方が私のほうにも参りまして、ぜひそのことを強く申し入れてもらいたいという非常にありがたい、適切な御要望を、むしろこちらからお願いすべきことでありますが、その派遣医師の方が非常に御熱心にそういうふうにお百度踏んで来られるわけであります。ぜひその陳情に対して一刻も早くこたえてほしい、実行に移していただきたい。これは要望をかねて、そういう切なる要望に対して時をかすとか、具体的なそれに対する回答がないとかいうことは、まことにこれはいけないことだ、遺憾なことだ、こう思っておりますので、その点私からも強く要望申し上げておきます。

それでは、次に調査は十分知っておるとおっしゃいましたが、その該当者、いわゆる風疹児と言われる者の数、その類別、そういうものを明らかにしていただきたいと思います。

○政府委員(坂元貞一郎君) 昭和三十九年から四十年の春にかけての風疹流行の結果、私どもが当時調査団の結果あるいは検診の結果把握しております風疹によるいわゆる何らかの心身の障害のある児童数は、当時において三百六十名、こういうふうに言われているわけでございます。もちろん五百五十五名ぐらいの者を対象にして検診をいたした結果、ある程度風疹を起因とした障害児であるというのがいま申しました三百六十名でございます。その内訳は、先天性の心疾患というのが五十二名、いわゆる先天性の白内障が二十八名、それから難聴児が三百三十九名、精薄児が三十九名、脳性麻痺が五名ということで、数としては三百六十名をオーバーしておりますが、これは重複障害を持っているのがそれぞれの項目にございますので、総数として三百六十名というふうに言われているわけです。

それらの三百六十名の者に対する、その後私どものほうでとりました対策なり措置につきまして簡単に申し上げますと、先天性の心臓疾患につきましては、現在本土のほうにおいてやっておりますような、いわゆる入院手術という対策を立てておりまして、現在まで——これは昨年の七月までの状況でございますが、五十二名のうち手術を要するというように認定された者が二十八名ありますが、そのうち六名だけを現在までのところ本土の専門医療機関で入院手術を行なっております。それから、白内障につきましては、同じく本土のほうの医療機関で二十八名のうち十名だけを手術をしているということになっておるわけでございます。難聴児につきましては、当時、いわゆる難聴の器具を三百十二名くらい本土から——これはもちろん民間のほうの好意によりまして送ったものでございますが、そういうような難聴器具を当時送っております。それから精薄児と脳性麻痺の子供さんにつきましては、現在沖繩に、先生御存じのように、精薄施設なり、肢体不自由児施設というのがそれぞれ一カ所ずつございますので、そういうところに入れていろいろ訓練をするというようなことをやっているわけでございます。もちろん、これだけの対策ではまだ不十分でございます。したがいまして沖繩の四十六年度の予算におきましても、いわゆる育成医療の費用が二十名分ぐらい予算計上しておりますので、そういうところでこの心臓疾患の手術も従来同様に本土のほうに来ていただきまして手術をする、こういうようなことを考えているわけでございます。それから施設に入れるというようなこともございますので、今後、精薄施設なり肢体不自由児施設というのが現在一カ所ずつのものがさらに十分でございません場合は、今後そういう施設整備というものも十分考えていきたいと、かように思っているわけでございます。

○喜屋武眞榮君 いまの御説明で、調査の結果、またそれに対する対策、さらに将来の計画につきましては、一そうひとつこの実態に即応するように、また県民の意思をくんでいただいてこたえていただきたいと要望申し上げますが、ことに緊急に手術を要する者ですね、それからしばらくある一定の期間を置かなければいけない、こういったまた専門的な立場からの数が出ておるわけでありますが、そこで、いろいろ検討してみますと、非常に沖繩は遠隔の地でありますので、まず渡航費の問題治療費の問題ばく大な費用がかかっておることが明らかにされておるのであります。治療費として平均九百二十二ドル、約千ドル、三十六万ですか、治療費としてかかる、こういうこと。それから渡航費の問題ですね。渡航費も、まあ船にしましても七十ドル四十セントといったような、こういう渡航費の問題。それから付添人の問題。子供のことでありますから、本人だけ送り出すわけにいかない。こういった非常に多くの費用がこれにかかることが明らかにされているわけでありますので、ぜひそういった費用の裏づけ、さらにまた急を要する問題ですね、こういう子供たち、この問題につきましてもひとつ前向きに積極的に治療していただいて、早く健全な健康体にしていただきたいということを、特に心臓疾患と目の面は厚生省の関係の問題でありますので。

次に、耳の面は特に文部省の関係になるわけでありますので、この子たちがことしから幼稚園にもう上がる年齢になっておるわけであります。五歳児ですね、四歳児、五歳児。そうすると、幼稚園も普通の幼稚園には入れられませんので、どうしても特殊施設をまた持たなければいけない、こういうことになっておるわけでありますが、文部省の立場からどのような対策を持ってこられたか、また将来に向けてどのような計画、対策を持っておられるのであるか、そのことをひとつ承りたいと思います。

○説明員(寒川英希君) 聴覚障害児につきましては、早期に訓練をし教育をすることがきわめて重要でございますのは御承知のとおりでございます。そこで、この教育ないし訓練に当たります担当教師の養成、これがきわめてまた問題でございまして、この養成をどうするかというふうなことの対策が中心になっているわけでございます。そこで四十四年度に、先ほど申し上げました指導者講習会を現地におきまして二回ばかり開いております。さらにまた本土から沖繩に参りまして長期の駐留教育指導員、これも四回ばかり派遣しております。さらにまた沖繩から本土へ内地留学生ということで教員を受け入れております。これが現在までに三回実施されているわけでございます。現在、こういった研修を受けました教師が沖繩各連合教育区ごとに巡回教師として子供たちに対する指導あるいは親に対する教育相談等をいたしているわけでございます。いわゆる巡回教師として配置されまして指導が行なわれているわけでございます。いま御指摘のございましたように、大体五歳から六歳に達する子もあるわけでございまして、小学校に入る段階を迎えております。そこで四十五年度におきまして、琉球政府の計画に基づく援助をいたしたわけでございますが、これは各地に幼児のための教室を設けて、四十六教室でございますが、これに対しまして卓上補聴訓練器、さらに集団補聴設備というふうなことで設備費を約一千万でございますが援助をいたしました。さらに四十六年度におきましても、琉球政府の計画に沿いまして引き続き必要な援助措置を積極的に講じてまいるわけでございますが、この四十六年度の予算におきましては、小学校に風疹学級をつくるわけでございます。したがいましてその建物の補助、校舎の増築に要する補助金を計上いたすことにいたしております。それからその風疹学級に対します設備、これに対しましても援助をいたす、さらにまたこの風疹児が各地に散らばっておると申しますか、点在いたしておりますので、こういった子供たちが風疹学級に通学してまいる際の交通費あるいは学用品、通学用品等がございます。そういった就学奨励をする援助、そういったものを含めまして約二億五百万ばかり計上いたしたいということでお願いいたしておる次第でございます。

第65回国会 参議院 予算委員会第四分科会 第3号 昭和46年3月25日

○上田哲君 四十五年二月に政府の風疹障害児の調査があったと思いますが、その御報告を概要承りたいと思います。

○政府委員(坂元貞一郎君) 沖縄の風疹児発生の問題でございますが、三十九年から四十年ごろにかけまして沖縄全土に風疹が流行しまして、その結果相当の風疹障害児というものが発生いたしたわけでございます。これに対しましては日本政府、つまり本土政府といたしましては、数回の専門家による検診班なり指導班等を現地に派遣いたしたわけでございます。その結果、大体当時風疹による障害がある、何らかの意味において障害が認められるというような対象者が三百六十名あったわけでございます。その内容としましては、先天性の心疾患を有する者が五十二例、先天性の白内障が二十八例、聴覚障害が三百三十九例、その他十四例、こういうようなことになっております。これに対応いたしまして現地に派遣いたしました検診班なり調査団等の総合的な調査の結果等の勘案いたしまして、早急に何らかの意味で手術をする必要があるというような対象者につきましては、本土政府のほうに――つまり本土のほうに来ていただきまして、本土のしかるべき専門病院で手術等を行なった、こういうことになっております。大体このうち、当時におきまして手術を行ないました児童数は心疾患児五名、白内障児が七名でございます。九州大学なり国立病院等で手術を行なったわけでございます。

それから聴覚障害児につきましては、当時本土の民間の各団体等から補聴器というものを寄購していただきましたので、これで当時一時的に間に合わせまして、その後は琉球政府のほうにおきまして向こうの制度により補装具の交付修理を行なっている、大体こういうような事情に相なっておるわけでございます。

○上田哲君 御丁寧な御答弁で非常にけっこうなんですけれども、一時間しかないので簡単にひとつお願いしたい。

いまの風疹の検診ですね、これは私はいいことをやられたと思っております。ただ、いま御報告がありましたけれども、たとえば心疾患五名、それから白内障七名、たとえば白内障は二十八人ですね。だからこれを見ても非常に十分な手当てがあとで行なわれていないということになるんですよ。いま補聴器というお話がありましたけれども、補聴器も国が出したわけではないんですね。全く民間の善意に基づいて寄付をされた。したがって、これが全部に渡ればいいけれども、全部にあまねく渡っているということじゃなくて、まだまだ必要な数が多くあるわけです。しかも非常に問題なことは、この子供たちがこの春学校へ行くということですね。これじゃ学校へ行けないと思うのですよ。時間がもったいないからまとめて言ってしまいますけれども、たとえばろう学校というのは伊覇にしかないわけですね。これじゃ全く手当てがない、学校へ行けないというような状態になってしまうと思うのです。そこらはどうなさるのですか。

○政府委員(坂元貞一郎君) 私、先ほど申し上げましたのは、当時の時点において手術を行なった者が五名ないし七名おったということでございまして、その後本土政府のほうに、たとえば心臓疾患等でございましたら毎年、昭和四十三年度は二十名、四十四年度は二十名、四十五年度は四十名、それから四十六年度におきましては二十名を予定しておりますが、こういうふうにその後も継続をしてきておりますけれども、その中に当然この風疹障害児というものも入っている、こういうふうに私ども了解しております。

それから、後段のほうの聴覚障害児等についてのいわゆる盲学校等の整備でございますが、これは私もよく実態がわかりませんが、文部省の管轄になっておりますので、文部省のほうでおわかりだと思いますが、私どものほうのいわゆる施設といたしましては、・社会福祉施設といたしましては、難聴児に対しまして、現地の小学校に特殊教室というものを設けまして、早期の指導に当たっております。それ以外に、たまたま本年の一月から、沖縄のほうに聴覚障害児福祉センターというものをつくりまして、これによりまして、聴覚障害児の聴能訓練なり、生活指導等を実はやる予定にして、いま建築中でございますので、そういうような施設を私どものほうではできるだけ今後活用していきまして、こういった聴覚障害児の療育訓練等をやってまいりたいと、かように思っているわけでございます。

○上田哲君 ちょっと私は、そんなんじゃいけないと思うんですよ。当時やられたといったって四十四年でしょう。まだ幾らも時間がたっていないわけですよ。あとほかの症状とあわせてやった――治療まであわせてやった者何名、何名なんというようなことを言っていては、私が十分に前から資料を出してもらうように頼んで、できるだけ建設的に前へ進めようといった話がおかしくなってくるんです。そんなことをおっしゃるんなら、五百五十分の三百六十について、一人一人について名前をあげて説明をいただかなきゃならぬ。三百六十の対象者、白内障二十八人のうち今日まで何人やったか、言えますか。また学校についてもできるだけ手当てをして十分な対策を講じたいなんというようなことを言っていたんじゃいけないんですよ。結論をはっきり伺いたいのは、目の悪い子供たちが完全にきちんと学校に行けるようにできるのですか、できないんですか。非常に数が少ないんだから、その辺はごまかしはきかない。私はこんなことを声を上げて言うつもりはないんだが、しかしやっぱり調査をやったことはよかったと思うけれども、しかしそのあと十分に保護できていない。できない実態をどう考えておるか。これはすなおに言ってもらわなきゃならぬ。こんなことでけんかするテーマじゃない。何とかして手を差し伸べていってもらいたい。それをいかにも官僚的な答弁で、自後できるだけの努力をいたしまして、可及的に、なんということを言ってるんじゃ、これは私はもう少しデータをあげて追及の立場に立ちますよ。もう少しまじめにやりなさい。
〔副主査退席、主査着席〕

○政府委員(坂元貞一郎君) 私が申し上げたのは、そういう趣旨ではございませんので、当時たとえば、いま白内障のお話が二十八名とございましたが、この二十八名の内訳が実はあるわけでございます。このうち手術を要するという者が十七名ございます。それから手術をしなくてもいいという者が十一名ございます。その十七名のうち早急に手術を要するという専門家の判定が当時下った者が七名おるわけでございます。したがいまして、この七名の者は全部手術が終わりました。こういうことを私申し上、げたわけでございます。そこで、残りの者――十七名のうちから七名を手術しまして、残りの十名でございますが、これにつきましては、私どもとしましては、現在のところまだ確実にその残りの十名の者の数をつかんでおりませんが、先ほど申し上げましたように、もう少しこの点は現地側とよく連絡をとって、その数をつかみたいと思っております。おそらく、私どもの推測によりますと、先ほど申しましたように、その後心臓疾患等の手術なり、育成医療というような形で本土に連れてきたり、あるいは現地のほうで育成医療の給付がなされておりますので、その中に残りの児童も入っているんじゃなかろうか。しかし、その実態は、もう少し現地側とよく私どもこれを打ち合わせた上で、把握をいたさなければならぬ、こういう趣旨で申し上げたわけでございます。

○上田哲君 そうなると、こまかいことを聞きますけれども、こまかいことを聞くことが私のもともとの趣旨ではないのです。たとえば二十八人の白内障のうち心疾患の子供が含まれていますね。二十八人について十七と十一の区別がどうなっているのかよくわからないが、たとえば二十八人のうちの心疾患の者、こういう者についてはきちんと手当てが終わっているのですか。その辺どうもつじつまを合わせるような答弁をされているような気がするのです。つまり結論的には、大臣、いま実態は十分に出てこないわけですよ。私は何べんも繰り返すことになるけれども、一回調査をした――その調査に行ったことはいいことだと思うのですよ。しかし、その一回では十分でなかった。実態は十分に把握されていない。それからアフターケアも実際には民間の善意にたよるというようなことです。こういうような重要な風疹の調査あるいはアフターケアも一回ぽっきりというわけにはいかぬだろう。いまの御答弁の中にあったように、もっと実態を調べて、予算をつけるということを含めて、アフターケアを十分してやらなければならぬだろうというふうに思うのですが、再度調査団を派遣するなり、アフターケアに力を入れるなりのお考えは何かありませんか。

○政府委員(坂元貞一郎君) 私、いまも申し上げましたように、その後のアフターケアの実態がまだ十分に把握できておりません。したがいまして、せっかくの御提案もございますし、私どもも琉球政府のほうとかねがねそういう打ち合わせをいたしたいというふうに思っていたやさきでもございますので、早急にそういうようなことを何らかの方法で考えてみたい、かように思っております。

○上田哲君 大臣、答えてください。

○国務大臣(内田常雄君) 風疹の実態のことは、私も正直申しましてよく知りませんが、風疹が起こらないような対策というものを一方で進めながら、他方において、お母さんがこういう病気にかかったために生まれた子供が不幸な先天性疾患を有するというような、そういう子供に対しましては、できるだけ国もめんどうをみてやることがよいと思いますので、施設の行き届かないところの子供などにつきましては、いまも政府委員から申しましたように、沖縄当局にもその事後の状況についてただしまして、できるだけ本土政府からのあたたかい措置を展開をするようにいたすべきだと思いますし、いたしたいと思います。

○上田哲君 こまかいことはよろしゅうございます。確認しておきますと、一回目の調査をしていただいたわけだけれども、実際にはまだ実態のほんのきれ端しかつかめていない。ですから、これからやらなければならぬことは、いま、どなたですか、局長さんが言われたことの中身は、可及的すみやかにもう一ぺん調査団を派遣してもらうこと、それから手術その他の措置の必要なものについては、現地ではできませんから、直ちに本土との連携を密にして、そういう手当てをしてもらうこと、それからそういう子供たちがようやく新学期に向かっているわけですから、そういう特殊学級について配慮してもらうこと、大きく分けると、この三つだと思うのですね。この三つに大臣は積極的に取り組んでいきたいということだと理解してよろしいですね。

○国務大臣(内田常雄君) 調査団を派遣するというようなことになりますかどうか、そこのところは私もまだここで申し上げられませんが、沖縄・北方対策庁などと打ち合わせまして、あらためて調査団を派遣することがどうしてもその前提になるような場合には、当然考えなければならぬことでございましょうけれども、いろいろな方法もございましょうから、先ほど私が申しましたような線で、そういう子供たちのめんどうをみるために医療教育などのことにつきましても、できる限りの努力を進めるという方向でつとめてまいりたいと存じます。

○上田哲君 ちょっとくどいようですが、この前幾らかかりましたか。

○政府委員(坂元貞一郎君) 当時は総理府のほうの予算で行ったわけでありますので、金額等は承知しておりません。

○上田哲君 調べてくださいよ。一時間後まででいいですから、電話をかけてでも聞いてください。まあどっちみち微々たる金なんですよ。調べてもらえればすぐわかりますよ。厚生大臣、これはぜひひとつ、手弁当でいくお医者さん方によって構成される分もあるわけですから、北方対策庁との関係云々というようなことよりも、これは大臣がよかろうということになれば、耳が聞こえなかったり心臓が悪かったりして、学校に行けなくて困る子供がすぐ拾い上げられるわけですから、もう一回数字が出てくれば、これくらいのことができるかできないかの御判断を承りたいと思いますが、ぜひひとつ御努力いただきたいということをつけ加えておきます。調べてください。
それでこの風疹というのは、非常に子供の予防医学上問題が深いわけです。さっきはワクチンというお話がありましたけれども、そのワクチンの前に、沖縄でようやくこういうことが明らかになったけれども、本土全体でどれくらいの抗体があるか、どれくらいの伝染の可能性があるかなどなど、いわゆる疫学調査、抗体調査、そういう資料はどんなふうなことになっておりますか。

○政府委員(坂元貞一郎君) 本土のほうにおきましての風疹の発生でございますが、たまたま問題になりましたような沖縄の三十九年、四十年当時の大規模な流行というのはございませんので、全国的な規模においてその疫学調査等を実施したことは実はないわけでございます。しかしながら四十四年度の厚生科学研究費を用いまして、全国の主要病院の八百病院につきましてアンケートの調査をいたしたわけでございますが、その結果大体二十一例くらいの症例が風疹による障害である、こういうふうに専門家のほうで確定診断した例がございますが、これも正確な、厳密な意味の全国的な調査じゃございませんで、その実態等はつまびらかではございませんが、大体専門家等の意見によりますと、そう多数の発生児が見られていないというようなことが言われておりますけれども、いま私申し上げましたように、四十四年度の一部のアンケート調査によりますと、二十一名くらいの症例が見られている。こういうことだけしかいまのところわかっていないわけであります。

○上田哲君 そこが私は非常に問題だと思うのです。沖縄でもやっと一回やったらこれだけ出てきた。実に大きいわけですね。耳がやられる、心臓がやられる、目がやられる、非常に大きいことなんですね。ところが本土のほうはまるっきりやられていないわけですよ。事実、厚生省に伺ったらその後のデータは出ていないということなんですけれども、これも十分な調査じゃありませんけれども、学者のいろいろな調査をした資料を見ますと、大まかに言えば、現在の出産適齢期、妊娠適齢期といいますか、そういう方々には大体抗体は九〇%ぐらいある。ところが、これからおかあさんになるハイティーンの娘さんたちは、たとえば大阪地区であるとか、あるいは九州、四国が、どうも西北希薄型だそうでありますけれども、西のほうに行くとずっと薄くなってきて五〇%を切っているところが数カ所ある。このままでいくと、数年後には風疹が大阪地区、九州地区、四国地区などで大流行の危険があるということが疫学的に言われております。これはたいへんなことだと思います。これを単に小さなミクロ調査をしてみたら二十一例ありましたということでは、これは完全に後手後手になってしまうと思います。こういう考え方についてはいかがですか。

○国務大臣(内田常雄君) 私、正直に申しまして、風疹につきましてはあまり知りません。わりあいに最近になりまして、沖縄でこの風疹が先年流行をして、その犠牲者に対する処置をしようとする事態にあるというようなことを、私は初めて知りましたわけでありまして、それはいけないわけでありますが、私は、これは一種の季節的な、地域的な、したがって風土病的な伝染病のように、これは専門家でありませんので考えております。沖縄はいまはおさまっているということも聞いておりましたけれども、台湾かなんかにまだその根が残っておるというような程度の私は認識を持っておりまして、したがってまた、これを放置いたしますならば、季節的に、また循環的にこれが沖縄あるいはまた本土にまで部分的であれ、しょうけつをきわめるということになったらたいへんだと考えざるを得ない。最近いろいろ新しい病気――スモン病とかベーチェットとか、そういう病気のことにつきましては比較的私も耳にいたしておりますけれども、このことにつきましては私自身十分の認識もございませんでしたので、いまお話を聞いておりますると、将来の心配も大いにあるわけでございましょうし、その抗毒素等をこれから妊婦、産婦になられる婦人方に持ってもらわぬことにはいろいろの心配もあるでございましょうから、十分の配慮をさせるように私も関心を持って進んでまいりたいと思います。

○上田哲君 大臣が、風疹については私はよく知らぬのでと率直に言われるので、私はそれで熱意があればいいと思うんです。ただ厚生省としてこんなことではたよりないことおびただしいと思いますよ。これはぜひお考えいただかなければならぬと思うんですが、大臣が、また沖縄にも発生することになると困るからと言われるが、沖縄には発生しませんよ、大体抗毒素ができているから。しかし沖縄の例はそんな単純なことじゃないのです。ほとんどその子供たちは六五年六月から十二月の出生児です。そうしてその全出生児は一万二百人、発生率は三・五%ですよ。これはたいへんなことです。しかも日本中の抗体、非常に大ざっぱな抗体検査だけれども、学者のやったところでは、いま申し上げたようにたとえば九〇%もあるのは、おとなといいましょうか、二十何歳というおとなはいい。しかしハイティーンの連中は西へ行くほど非常に薄くなってきて、大阪近辺、四国、九州では数年後には風疹の大流行が起こるということは疫学的に言えるわけです。これをほうっておくというようなことでは非常に問題が起きる。かりに沖縄のこのパーセンテージではじき出してみますと――データがないからしかたがないんですけれども、単純計算でも二万四千人の子供が関西――西のほうを中心にして二万四千人の子供が風診にかかる、こういう数字になっているんです。こういうことを言っている学者がいるんです。これはやはり私はすぐ調査をすべきじゃないか。いま調査がないままでいいということにはならぬじゃないか、こういうふうに思うんですが、大臣その点について熱意をお聞かせ願いたい。

○国務大臣(内田常雄君) これは、私が大臣ではございますが、厚生省の各方面の活動というものは私の指示を待ってやるというようなことであってはならないわけでありまして、それぞれその方面の担当の技官などもございます。また、厚生省の所管には御存じのように予防衛生研究所というようなものもあるわけでございますので、当然私の指揮を待つまでもなく、また上田さんからそういう御叱正をいただくまでもなく、厚生省が常にそういう姿勢をもってこういうことに当たっておらなければならぬものだと私は思います。そういうことを、さらにまた私は省内におきましても意向を伝えまして、そうして、こういうものに対する今後の思わざる事態の発生を十分頭に置きながら対処をさせるように熱意を持って進んでまいりたいと思います。

○上田哲君 わかりましたが、お金は……。

○説明員(亀谷礼次君) ただいまお尋ねでございます第一回及び第二回の集団検診の技術要員の派遣の経費でございますが、第一回の一般診断及び精密検診を合わせまして延べ十四名でございますか、行っていただきました経費が約四百八十万円の経費でございます。

それから御質問にございませんでしたけれども、先般来の厚生省に対する御質問に関連して、沖縄北方対策庁の予算措置についても一応御説明しておいたほうがよろしいと思いますので、つけ加えさしていただきますが、先ほど先生からお尋ねをしていただいておりました、来春から学齢に達する児童の問題を含めまして、沖縄北方対策庁の四十五年度の予算では、風疹障害児対策備品整備、これを約九百万円措置いたしました。なお来年度におきましては、いま先生からお話がございましたように、来春から学齢に達するということもございますので、これら障害児のための教室の建設費、これは本土と違いまして四分の三の高率補助でございますが、これを一億二千万円特別に障害児のための経費として予算にいま計上いたしております。その他、一般の盲ろうあその他を含めましての特殊学級に対する設備等に二千三百万円ばかりございまして、この中には当然風疹児対策費も含まれておるわけでございます。簡単でございますが……。

○上田哲君 大臣、お聞き取りのように、教室や何かは当然やってやらなければならぬことだし、それは大いにやっていかなければならないと思いますから、それを調べますと五百万かからぬほどのものだから、これはぜひ調査団をすみやかに派遣して、沖縄復帰の年を迎えるわけですし、ちょうど就学期を迎えている子供たちについて実態を十分に把握するということをぜひ約束をしてくれませんか。

○国務大臣(内田常雄君) これは、私がそのことをここでお約束申し上げますよりも、関係の局長もおりましてお話を聞いておるわけでありましょう、北方庁もおられるわけでございますから、あなたの御熱意にもこたえる意味におきましてあらためて打ち合わせをいたしまして、こちらから派遣するのがいいのか、あるいはまた沖縄当局のほうのこまかい報告、調査などを受けるものがあって、対処策が双方の協議できまるものがあれば、そういうことで予算の措置、医療の措置等が講じられる点があるかもしれませんので、その辺全体を含めまして十分前向きで検討させるようにいたしたいと思います。
〔主査退席、副主査着席〕

○上田哲君 じゃ、もう一つ確認をしますけれども、沖縄だけでなくて西日本を中心に二万四千人も風疹の流行が起きるというようなことがあれば、これは非常に重大事だと思うのです。そういうことが数字的には言えるわけんなですから、これに向かってすみやかに調査をする、そして対策を講ずるということはお約束いただけますね。

○国務大臣(内田常雄君) けっこうなことである、こう思います。
〔副主査退席、主査着席〕

○上田哲君 前向きに御答弁がありましたから納得をいたします。金額からいってもたいしたことはございませんし、目下は意欲的な学者たちの良心、善意にゆだねられてしまっているようなかっこうになっておりますから、ぜひひとつ沖縄の問題、それからわが国の国内全体の問題についての調査をやっていただくことについて、また可及的すみやかに御結論の御報告をぜひいただきたいと思います。

ワクチンのことも聞きたいので一言聞いておきましょう。風疹ワクチンはどうでしょう。私どもが聞いているところでは、大体あと二年もすれば実用段階にも到達するのではないかというふうに聞いておりますが、いかがでしょうか。

○政府委員(武藤琦一郎君) 風疹ワクチンの開発につきましては、四十四年、四十五年、四十六年、それぞれ研究が続けられておりまして、四十七年度におきましては製造基準とかあるいは国家検定の基準の計画を行なう予定になっております。したがいまして、いままでの研究に基づきまして、四十七年度中には実用化が行なえるというふうに大体予定しております。

第65回国会 参議院 内閣委員会 第19号 昭和46年5月19日

○岩間正男君 あなたはそう言われるが、反駁する材料はたくさんありますよ。あなたもとにかく行ってごらんなさい。基地の中の沖繩——沖繩に基地があるんじゃないですよ。基地と基地の間に沖繩がある。そういう中で朝晩の爆音を聞いている。目の前で見ているんです。生きているんだ。これが教育の材料にならぬですか。そういう中での子供に対して平和を教えておったって——それはやっぱりわれわれの当面する現在の状況を認識させるというのは当然の教育でしょう。再び戦争を起こさないために、敗戦のわれわれのあの時代の悔いがあるでしょう。だから、そういうような、いまあなたの言われた、あなたのいまの答弁が全く何よりもあなたたちがここ十数年やってきた教育の実態を語っていますよ。しかし、ここで議論する時間の余裕はありません。次に進みましょう。
お聞きしたいのですが、沖繩における障害児の教育について二、三質問したいと思います。

まず第一に、沖繩における障害児童、障害児教育の現状はどうなっていますか、これをお聞きします。

○政府委員(宮地茂君) 沖繩では盲学校が一校、ろう学校が一校、養護学校が四校、小中学校の特殊学級が百八十二学級設置されております。本土と同じように、これらの学校におきまして特殊教育が実施されております。詳細が必要でございますれば、もう少し詳細申し上げますが、概要はそのようになっております。

○岩間正男君 「特殊」学級はどうですか。小・中で学級数と人数を言ってください。

○政府委員(宮地茂君) 特殊学級は小中学校で百八十二学級でございます。

○岩間正男君 人数は。小学校百四十六学級、中学校六十学級じゃないですか。小学校千八百五十九人、中学校五百六十一人、違いますか。

○政府委員(宮地茂君) 説明員でよろしゅうございますか。

○説明員(寒川英希君) いま局長が申し上げた学級数でございまして、児童生徒数につきましては、資料持ち合わせませんので、後ほど。

○岩間正男君 これはあとで資料を出してください。
風疹学級というのは七一年度から新設されたはずですね。これは何学級ありますか。

○政府委員(宮地茂君) 風疹の特殊学級は四十六学級でございます。

○岩間正男君 これも私たちの聞いているところは四十九学級、それからろう学校の幼稚部が四学級ふえている、こういうふうに聞いているわけですが、これもよく調べて出してください。

それで、総理舟から見えていますね、どなたですか、対策庁長官ですか——それじゃ、対策庁長官にお聞きします。

一応障害別なども整っているようで、本土のおくれた県よりは整備されていると言えるようでありますが、特に風疹障害児について総理府にお尋ねしたいと思います。琉球政府厚生局の資料によりますと、一九六四年後半から六五年前半にかけて、沖繩全域で風疹が流行し、六九年一月、日本政府の派遣した検診班の検診の結果、受検児童数五百五十五名中、三百六十名が風疹障害児と言われ、先天性心疾患五十二例、先天性白内障二十八例、風疹による聴覚障害児三百三十九例、特に心臓、聴覚、視覚の三重障害児が二十一例もあると述べています。以上の調査結果は総理府にも報告されていると考えられるので、その後、風疹対策の特別措置として、教育医療の面にどのような援助措置をしたか、お伺いしたいと思います。

○政府委員(岡部秀一君) ただいまのような状況でございましたので、さらにその後精密な検診班を派遣をいたしましたのであります。その結果、心臓疾患児童で、早急に手術をしなくてはならないという者が五名、それから少し時期を待って手術すべき者、それが十九名、それからなお経過を観察してから処置をきめようというものが七名、こういう状況でございました。そこで、そのうちの早急に手術を要する者五名、これを九大付属病院に収容いたしまして手術を行ないましたが、全員経過良好でございまして、退院をいたしまして沖繩に帰りました後の経過も、全員発生することもなく、経過良好であるという報告が参っております。教育対策といたしまして、財政援助によりまして、昭和四十五年度では琉球政府の設置した風疹障害児の学級に対します設備、備品費、これを九百二十七万円計上をいたしております。さらに本年度は、来春これらの児童のうちで学齢に達する障害児がございますので、教室建設費一億二千万円を計上をいたしております次第でございます。

○岩間正男君 これは私たちお聞きしているのと数が必ずしも一致していないのですが、これはまああとでこの点は明らかにするとして、時間の関係から、その数の問題についてはこれは譲りたいと思います。手術を受けた者の数がまだ少ないようですが、治療費、渡航費、付き添い者の旅費、滞在費などについては金額国庫が負担してやるべきだと考えますが、いままでこれらの経費はどのようになっていますか、それから今後どうするつもりか、総理府としてこれについてお答え願いたい。

○政府委員(岡部秀一君) 治療処置をいたしました五名分につきましては、財政援助費で十分の八を援助いたしております。それから四十六年度の予算には二十名分を計上いたしております。従来、琉球政府におきましては、昨年が、風疹児だけではございませんけれども、そのほかも含めまして二十名の財政援助をいたしまして、それにプラス琉球政府がなお二十名の予算を計上をいたしておる次第でございます。本年度はこちらから二十名の財政援助をいたしておりますので、琉球政府におきまして財政状況を勘案しながら、その数をさらにプラスをしていくということになるんじゃないかと思っております。復帰した後におきましても、これらの風疹児に対しましては従来の援助を続けていきたいと思っております。

○岩間正男君 結局、政府の出した金は幾らなんです。そこのところ明確でないな。

○政府委員(岡部秀一君) 金額はそれぞれ違いますが、十分の八を補助するということになっております。

○岩間正男君 総額は。

○政府委員(岡部秀一君) 六百三十七万円でございます。

○岩間正男君 こんなことで間に合いますか。私の聞いたところでは白内障の二人については日本ユネスコ善意銀行が負担をした。それから心臓疾患二名のうち一名は治療費は琉球政府一般会計から、他は寄付金から支出、患者渡航費は一般会計、付き添い費は一名分一般会計、他は寄付金から支出した。その後これは何ですか、政府がこれらの肩がわりでもやったんですか、どうなんです。

○政府委員(岡部秀一君) 補聴器の配布の問題でございますが、補聴器の配布、その装着、三百二十七個配布をいたしておりますが、これは寄付金によっておりまして無料で配布をしておる、そういう予算でございます。予算が、なおこのほかに、予算以外にあるわけでございます。

○岩間正男君 これは琉球政府の負担も相当なんですが、どのくらいなんですか。

○政府委員(岡部秀一君) 琉政では約百六十万ほど出しておるわけでございます。

○岩間正男君 非常にこれは何ですね、琉球政府の、最近の予算を組むにも非常に困難な事情がある、そういう中でこういうのを負担しているのですから、こういうものは全額政府がみるべきじゃないですか。こういうものは組まれていますか。

○政府委員(岡部秀一君) まあ全額補助できればいいと思いますけれども、なお一般財源としてこういうふうなものにも充てるように、別のほうから一般財源を付与いたしておるという点もございますので、そういう点で、なお二割の負担というふうなことを考えていくということもまた一方法だと思っております。

○岩間正男君 これは文教、厚生面でどうするかということを具体策をお聞きしたいのですが、風疹による聴覚障害児は数の上で最も多いように聞いておりますけれども、これは何か対策を考えておられますか。文部省いかがですか。

○政府委員(宮地茂君) 風疹児につきましては、先ほど沖繩・北方対策庁長官もお答えになられましたが、対策庁のほうで音頭をとられまして、実質的には私ども文部省におきましてもいろいろお手伝いをさせていただきました。大体四百人の子供がこの風疹児のようでございます。それらにつきましては聴覚障害を起こしておる者が多うございます。そういう面から聴覚障害児に対する指導教員の援助等で、現在まで短期、長期の指導者講習あるいは指導員の派遣、こういったようなこともいたしております。さらに沖繩では、連合教育区ごとに巡回教師が配置されておるようでありますが、それらにつきましては、沖繩が本土返還後もそういった対策は継続してまいりたいと思っております。なお、こういう子供についての設備関係では、四十五年度でございますが、集団補聴器、卓上補聴訓練器、四十八学級分も援助をいたしております。
なお、先ほど特殊学級数に対しまして、生徒数の資料を持ち合わせておりませんでしたが、百八十二学級で千八百四名でございましたので、つけ足させていただきます。

○岩間正男君 もう要点だけまとめてください。厚生省どうですか、これに対して。

○政府委員(坂元貞一郎君) 先ほど沖繩・北方対策庁長官からお話ございましたように、先天性の心臓疾患なり白内障等につきましては、現在本土において行なわれております児童福祉法、そういうふうな児童福祉法のたてまえによりまして育成医療、あるいは補装具の交付、そういうようなものを今後とも琉球政府を通じまして向こうの法律体系に準じましてやってまいりたいと、かように考えております。

○岩間正男君 やってまいりたいと言って、いままでやったのをお聞きしたのですが、やっていますか。

○政府委員(坂元貞一郎君) これは先ほど総理府のほうからお話がございましたように、育成医療の支給ということで二十名分というのが四十六年度予算に総理府を通じまして交付されておる、こういうことになっております。

○岩間正男君 それじゃ文部省にお尋ねしますが、本土から派遣した指導員の人選ですね、これはどのようにして行なわれたのか。沖繩の現地の父母たちの意見を聞いたのですが、きわめて評判がよくないんですね。授業時間中ちょっとよそ見をしたから一時間も教室のうしろのほうに立たされた子供がいたり、補聴器をいやがる子供にばんそうこうで張りつけろと指導したと、こう言われております。普通の子供でも、わんぱく盛りの子供で、しかも耳が聞こえない子供を視覚だけで束縛してことばを教えようとするのは無理な話ですね。よそ見をするのは当然の子供の姿であろうし、また補聴器はなれないものには苦痛ばかりで、いやがるのは当然であって、これにばんそうこうで張りつけろとは、人間が補聴器を使用する原則ではなくて、補聴器に人間をくくりつけるような結果になるのではないか。また派遣指導員間に何の連絡もないばかりか、それぞれ個性が強くて、前任者の指導どおりやっていると、後任者がまるで違ったことを指導する。それではというので、その方法を学んでいると、三カ月たつとまたかわるというのではどうしてよいかわからないと言っているんです。先島の離島から夫婦別居して子供のためにつき添ってきている母親もあり、中には通学付き添いのために失業して、いま借金に苦しんでいる母子家庭もあるわけです。これらの父母はことばの教育だけでは要らない、人間としての教育をしてほしい、こう言っていますけれども、今後どのように父兄たちの願いにこたえられるおつもりか、これをお聞きしたいと思います。

○政府委員(宮地茂君) 本土から派遣しました指導員に対して非常に評判がよくないということをあげられたようでございますが、私どもといたしましてはそのようには聞いておりません。なお、派遣いたしました教師は、大体、風疹児は聴覚障害を起こしておりますので、本土の主として、ろう学校のいわゆる経験豊かな先生を派遣いたしました。なお、そういう聴覚障害の教育よりも人間教育をといった御要望ということですが、これは聴覚障害ということで、その道の専門の先生を行かしましたので、社会科を教えるとか、歴史を教えるという意味で派遣したわけではございません。

○岩間正男君 その実態をこれは調査をされる必要がある。せっかく派遣されて、それが効果をあげない。やはり向こうの実情というものを知らなくちゃならないし、そういう上に立ってよほどとけ込んだことをやらないと、せっかく派遣したものが、仏つくって魂入れずというような結果になりかねない。だから、いまの御答弁ですが、私はこれは文部省に、評判が悪うございますと報告する人もないわけですから、やはりもう少しその辺は気を入れてやってもらいたい、こういうふうに思うわけです。

次に、ろう学校は新たに学級増を行ない、また聴覚障害児福祉センターに運動場を割愛したため運動場がとられてしまった。現地では付近の地主と折衝して約三千坪の用地を確保したが、購入費が足りないといって困っている。七千二百万ばかりの金ですが、特に風疹児対策という特異な条件に対し、特別に援助金の中で考慮するとか、これは援助してもいいのじゃないかというふうに思うのですが、この点いかがでしょうか、お伺いいたします。——これはどこですか、風疹児教育ですから文部省でしような。ろう学校の新設ですから、どうでしょうか、この問題まだ出てきておりませんか。

○政府委員(宮地茂君) 私どもは聞いておりません。

○岩間正男君 さっそく調査してこれに対する対策をお考えになれましょうか、どうでしょう。

○政府委員(岡部秀一君) 文部省とよく連絡をいたしまして調査をいたしてみたいと思っております。

○岩間正男君 それは文部省いいですね、異議ありますか。

○政府委員(宮地茂君) 具体的に承っておりませんので、何という場所かも聞いておりませんが、まあ対策庁で音頭をとられるべきと思いますが、文部省は退くわけではございませんけれども、一応対策庁のほうとよく御相談いたしたいと思います。

○政府委員(岡部秀一君) 失礼いたしました。ちょっと御質問の点を感違いいたしておりましたのですが、聴覚障害児につきましては、南方同胞援護会の事業といたしまして、沖繩聴覚障害児福祉センターというのを設けましたが、そのお話だと思います。それは本年の一月に落成いたしております。これに医師、聴能訓練士を派遣いたしまして、いろいろの事業の助成をはかったということになっております。なお、今後これらの者に対しまして琉球政府と連絡をとって指導をしてまいりたいと思っております。

○岩間正男君 とにかくその用地を、校庭が取られたので用地を確保したのだが、金が足りない。七千二百万ばかり足りないのだが、こういうことでは、沖繩の財政では非常に苦しいから、これについてやはり考えてほしい、こういうことなんです。

まあ風疹そのものは風疹ビールスが原因で流行することもありますが、一九六四年の沖繩における風疹の大流行は全く特異なもので、いままでと事情が非常に違っている特異な性格を持っているのですね。その前年にアメリカ北部州で大流行し、直後に沖繩に輸入されているのは、アメリカ占領者の不当支配が公衆衛生の不備と関連し、全くの基地災害と考えられるものであります。特に母体は全治しても、その体内で息づいている無抵抗の胎児に一生ぬぐうことのできない先天障害が加えられることは、全くこれは許すことのできない犯罪行為と言うべきであります。沖繩の本土復帰の陰で泣いているこれらの子供たちの無言の怒りに、われわれはほんとうに真剣にえりを正して考えるべきだと思います。こういう例が非常にあるわけです。これは米国の災禍が入り込んできたのですよね。しかもこれを現地で背負わされるということになったのではこれは話にならぬ。だから、形が全く似ている。これは米国で大流行したあとに持ち込まれてきた。こういう実情はお調べになっておわかりだと思うのです。いかがですか、対策庁長官、どうですか。

○政府委員(岡部秀一君) まあそういう点は、私、専門でないから存じておりませんけれども、そういう点いろいろ含めまして、検診団を派遣をし、さらに精密検診班まで派遣をいたしておるという状況でございます。

○岩間正男君 その結果をほんとうにこれは明らかにして、そうしてこれに対して、全くこれは沖繩県民のあずかり知らないところでこんな災害が行なわれているのでありますから、このような戦時災害みたいなこういうものについては全面的に国が補償する。まあ米軍が補償すべきで、ほんとうはこういうものなんかもこれは請求権の対象になるべき問題なんだけれども、こういう問題が明らかにされないままにこれは返還をされた。これはどうしても政府がこれに対してはっきり補償に任ずべきだというふうに思うのですが、この辺はどうですか。

○政府委員(岡部秀一君) まあいろいろと原因を詳しく調べないと、それがどこの責任に帰すべきかということはわかりませんけれども、実際調査の結果において、本土政府で責任を持つべきものである、国で責任を持つべきものであるという結果が出ますれば、当然、国といたしまして措置をいたしたいと思います。