四半世紀の想い出 Part4 – あの日から30年、いまの気持ち –

四半世紀の想い出 30年前に先天性風疹症候群で生まれたわたしのこと。

聞こえる世界と聞こえない世界、二つの世界で生きる。

5月初旬、立山アルペンルートにて、立山連峰の夕焼け。ま雪肌が夕焼けの赤い色にそまり、赤くなっている。私はふだん聞こえる世界と聞こえない世界、二つの世界を行き来しながら生活しています。そして両方の世界で人とつながることができます。

聞こえない世界で使われることばは手話です。手話があれば聞こえない人同士でも会話ができます。私にとっては聞こえない世界が「ホーム」で、聞こえる世界が「アウェイ」です。ホームグラウンドでリラックスしながら話すのはとても楽しいです。

特に楽しいのは聞こえない仲間と旅行に行くとき。お店の方がメニューを手書きしてくださったり、ときには手話を使ってくださったり、旅先で出会う人々のあたたかさを感じます。

聞こえる世界、聞こえない世界、どちらも面白いです。聞こえる世界では音が聞こえますし、聞こえない世界では音が見えます。聞こえないということはネガティブにとられがちですが、二つの世界の違いを感じられるというのは、人生を楽しむ要素も2倍あるんじゃないかとも思うのです。これからもこの人生をできるだけ楽しんでいきたいと思っています。

あの日から約30年の時が過ぎた今でも…

平成1年6月18日、父の日にとった足型。大人の人差し指の付け根から先までの長さ。

あの日から約30年の時が過ぎ、自分自身が母が私をうんだ歳に近づきつつあります。母は30年経った今でも、ときどき「ごめんね」と謝ってくれます。

今の自分だったらあのときどんな思いをしていただろうか、自分なら、母と同じ境遇に耐えられるだろうか。考えれば考えるほど、この病気は他の人には経験してほしくないという気持ちが強くなっています。

私が風疹症候群で生まれたのは、運命の巡り合わせです。親を責める気持ちは全くありません。むしろ、産んでくれてありがとうという感謝の気持ちのほうが強いです。

もし、風疹と分かっていたら生まれてこれなかったかもしれない。心臓病が重かったら、7ヶ月ごろにかかった麻疹で死んでいたかもしれない。生まれてくることができ、今こうして元気に暮らしていられるのは奇跡だと思います。

耳が聞こえず、目に病気をもって生まれてきてしんどいこともありました。聞こえる耳があったら、病気のない目があったら、と何度思ったことか。せめてどちらか片方だけだったらと今でもたまに思うことがあります。その一方で、風疹にかかっていなければ出会えなかったであろう素晴らしい友人たちとのご縁をいただくこともできました。

障害や病気を持っていても決して不幸というわけではなく、健常の人と同じように、嬉しいこと、楽しいことがあり、生きてて良かったなと思います。

それでも、やはり、この病気はなくさなければならないと思います。風疹が流行し、防ぐ方法が分かっていて、防ぐ道具もあるのだから防いでほしいと思うのです。平成最後の、そして令和最初の風疹流行が一刻も早く終わることを心から願っています。

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