四半世紀の想い出 Part2 – 学生時代のこと(小学校~大学)

四半世紀の想い出 30年前に先天性風疹症候群で生まれたわたしのこと。

本のおかげで勉強が好きになり世界が拡がった

小学校時代の写真。公園のアスレチックでネットを楽しそうな顔で登っているところ。

小学校はろう学校ではなく、住んでいる地域の学校に通いました。地域の小学校を選びました。目と耳の両方に障害をあわせもつ私には、まわりの子と同じペースで動くことを求められるろう学校よりも、地域の学校のほうが自分のペースで成長できるだろうと判断されたのです。

地域の学校に通いながら、週に1回、ことばの教室(通級指導教室)でサポートを受けました。先生とお話をしたり、作文を書いたり、心のオアシスのような場所でした。

障害のないこどもたちの中で、耳が聞こえず目も悪いために友達との関係にはとても苦労しました。目や耳からの情報が入りにくいために、友達との会話に入りづらかったり、聞こえにくいことで誤解を受けたり、あるいは誤解してしまったりすることもありました。他の人の顔のようすや声の調子など言葉にあらわれない人の気持ちを理解することも難しかったように思います。

学校の授業の中で苦手だったのは体育です。人や物の動きがよく見えないうえに、光が眩しくてボールが見えないのです。特にドッジボールは地獄でした。どこから何が飛んでくるか分からず怖くてたまらなかった覚えがあります。唯一好きだったのは水泳で、1kmくらいなら今でも泳げます。スキーも、両親の趣味で何度も連れてってもらったので特に好きなスポーツです。

一番好きな科目は国語でした。本を読めば読むほど褒められ、作文で自分の世界を自由に表現できて楽しかったのです。先生からのアドバイスで、本好きにするために親が本を読んでいる姿を見せるという作戦を母が実行した成果でした。本が好きになれば勉強も好きになるという好循環で算数や理科などの他の科目も好きになりました。

本のおかげで、産まれたときには闇と静寂の世界にいた私の世界が一気に拡がり始めました。

コンピューターとの出会い、そして2013年の風疹大流行

筑波技術大学天久保キャンパス正門の写真。

中学には受験をして入学しましたが、新しい環境にうまくなじめず体調をくずして不登校になりました。障害の影響で人とコミュニケーションをとる機会が少なく、周囲とくらべて心の成長が遅かったのだと思います。

高校からは環境が変わったことがきっかけで行くことができるようになりました。なんでも気兼ねなく話せる友達ができたおかげでクラスに居場所が無いと感じることはほとんどなく、安心して3年間を過ごすことができました。

中高通してコンピューターが好きで、ウェブサイトを作り情報発信をするようになったのもこのころからです。自分自身が読みづらいと感じるサイトがあったり、音声コンテンツにアクセスできないことがあったりするため、このころからアクセシビリティに興味を持ちました。

大学はコンピューターのことが勉強できて、あこがれの一人暮らしもできるという理由で筑波技術大学を選びました。目や耳に障害を持つ人を対象とした大学で、ここで手話に出会い、手話を使うようになりました。

北欧のろう教育に関する研修や中国の長春大学へ行かせていただいたり、他大学の聴覚障害学生を支援する部署で事務補助を行うなど、他の大学ではできない経験も得ることができました。

タイトルとURLをコピーしました